BtoB企業のPMF(Product Market Fit)ストーリーを紹介する連載「僕たちのPMFの話をしようか」。
第16回は、運用型広告のプロフェッショナル集団として1,300社以上の広告運用を支援してきた株式会社キーワードマーケティングを紹介する。
リスティング広告の黎明期・2004年に始動して以降、約20年にわたって独自のマーケティングメソッドを磨きながら、広告運用代理事業を展開する同社。もともとは小規模事業者のEC支援から始まり、市場や顧客ニーズの変化にあわせながら事業を伸ばしてきた。
2022年12月には、PR業界大手のベクトルグループに参画。
事業領域は、広告運用から、PR・認知獲得まで広がった。
新たなスタートを切ったキーワードマーケティングの軌跡と今後の展望について、代表取締役の滝井 秀典氏に話をうかがった。
2003年、Googleアドワーズ(現・Google広告)が日本でサービスを開始した直後より、検索キーワード広告とランディングページの実践・研究を行い、その成功理論を書籍『1億稼ぐ検索キーワードの見つけ方』(PHP研究所)で発表、5万部以上のベストセラーとなる。
キーワードマーケティングでは、設立時から延べ1,300社以上のアカウントを診断およびコンサルティングしており、現在は上場会社や成長率の高いベンチャー企業に対する広告運用代理事業を拡大している。
始まりは、Google アドワーズによる成功体験
そもそも、なぜ滝井氏はデジタル広告の領域で事業を始めたのか。
きっかけは、自身が独立後に立ち上げたペット関連アイテムを扱うECサイトの成功体験にあったという。
滝井氏は、広告代理店やITベンチャーを経て、2002年に32歳で独立。2002年といえば、Googleが日本市場に参入したばかりのころである。
「どうやらGoogle アドワーズ(現在のGoogle広告)が良いらしい」。
そのような話を同業者から聞いた滝井氏は、さっそくECサイトの集客で広告を試してみる。見事に大きな成果を得た。
その時代は、Googleに出稿するとYahoo!の検索結果の上位にも表示される仕様になっており、「1クリックあたり7円程度で大量に広告を配信できていた」と滝井氏。規模は小さいながらも費用対効果が良く、「これはすごい」と感動したという。EC事業は、Googleアドワーズを集客エンジンとして拡大していった。
その後、滝井氏はEC事業を売却。売却益を元手に、リスティング広告のコンサルティング事業を開始する。
中小企業向けのコンサルティングとスクール(教育)事業を展開し、家族経営の店や小規模な事業者のサポートに力を入れた。
「リスティング広告を活用すると、マニアックでニッチな商材でも売れる。この体験に感動して、売れる仕組みをもっと広げたいと思いました。だから最初は“ニッチマーケティング研究所”という名前でスタートしているんです。
当時は、お客さまの広告運用のコンサルティングとランディングページ(LP)のアドバイスをしていました。メンバーは、私と秘書の2人だけ。電話とメールを使って、ひたすら取り組んでいましたね」(滝井氏)
運用型広告の運用代行ニーズが顕在化。キーワードマーケティング研究所として代理店事業を開始
2004年には法人化し、株式会社キーワードマーケティング研究所を設立。
運用型広告のインハウス運用支援サービス・キーワードマーケティング研究会を発足、2006年には『1億稼ぐ検索キーワードの見つけ方』(PHP研究所)を出版するなど、リスティング広告のスペシャリストとして、滝井氏の認知は広がっていった。支援先は、800社になっていたという。
2010年前後になると、顧客からの要望に変化が生まれ始める。キーワードマーケティングの事業もまた、それに応えるようなかたちで少しずつ変わっていった。
「年数が経つに従って、最初は年商1億円ほどだったお客さまが、5〜10億円規模に成長するようになりました。そんな企業が、どんどん出てきたんです。
当時はインターネット関連の市場が急激に伸びていて、お客さまからも“自社でやるのが難しいから、LPの制作や広告の運用をやってもらえないか”という問い合わせが増えました。
運用型広告もリスティング広告だけでなく、媒体やメニューが増えて複雑化し、小規模な会社がインハウスで対応しづらくなってきたタイミングでもありました。
“それなら私たちがやりますよ”と、運用型広告の運用を代行する、広告代理店事業を始めたんです」(滝井氏)
「チャレンジしなければ、バチがあたる」
2010年前後の市場の変化は、キーワードマーケティングにも大きな影響を与えた。
滝井氏は、ターニングポイントになった2つのできごとを挙げる。
1つ目は、経営者として覚悟を決めたことだ。
「私のパーソナリティは、起業家であると同時に分析家に近く、事業家タイプではない。どちらかといえば職人タイプで、会社の拡大に関しても、それほど大きな欲求がありませんでした。
ただ40代に差し掛かるなかで、“40代は社長として本気で事業に取り組める最後のチャンスになるかもしれない”という考えが芽生えてきたんです。
インターネットの市場が成長していて、お客さまの数も増えている。(その方々のニーズに)応えられる能力もあるのにチャレンジしないとバチが当たるだろう、そう考えて事業の拡大を決めました」(滝井氏)
2つ目は、案件規模の拡大に伴う組織の急成長だ。
それまでのキーワードマーケティングの顧客は、小規模事業者が中心で、月あたりの広告費は多くても数百万円の後半台だった。しかし、スマートフォンの登場や運用型広告の多様化など、さまざまな要因が重なったことで、(1,000万円を超える)大型予算の案件が舞い込むようになったのだ。
「最初は予算500万円くらいの規模からスタートして、1,000万円、2,000万円となるケースもあれば、いきなり数千万円単位の規模で始まる案件も増えていきました。人を増やさないと(案件が)回せないような状況になり、組織も大きくなりました」(滝井氏)
運用型広告の代理店は競合が多い。
しかし、「競合優位性について意識したことはない」と滝井氏。
向き合うのは、競合ではなく目の前の顧客。顧客や市場の状況を踏まえて、今やるべきことに取り組んできた結果、キーワードマーケティングは成長していった。
新規の受注をすべてストップし、組織の立て直しに集中
顧客の属性や案件の規模が変われば、当然ながら求められる期待値や代理店としての機能も変わる。
キーワードマーケティングは、多数の小規模な顧客と向き合う事業モデルで成長してきたが、大手の広告代理店と同様の体制やふるまいも求められるようになっていた。
今までのやり方を貫くべきか、運営方法を変え、大型の案件にも対応できる体制にしていくべきか。
滝井氏が頭を悩ませているうちにも、顧客の数は増えていく。
会社の戦略がはっきりせず、中途半端な状況が続くなか、問題が発生する。ミスが多発してしまったのだ。
「お客さまにご迷惑をかけてしまいましたし、会社経営の面にも影響がありました。ミスを起こさない組織づくりをし直さなくてはいけないと腹を決め、インバウンドの新規案件の受注をすべてストップしたんです」(滝井氏)
まずは人材の教育や組織体制から見直した。
当時のデジタル広告は、(広告運用担当者の)チューニングの腕で良し悪しが決まる、という風潮が強い時代だった。
キーワードマーケティングも、優秀な人材の属人性で勝負しようと考えており、実際に第一線で活躍するエースメンバーがいた。
しかし、ミスをなくし運用の品質を安定して担保するには、業務プロセスを可視化し、広告運用担当者のスキルを全体的に底上げする必要がある。
「広告配信設定は、細かい部分も含めると設定する項目が1つの媒体で数百箇所あり、その組み合わせのパターンは何万通りにも及ぶ」と滝井氏。ミスを防ぐために、すべてを監視することは非現実的だ。
ミスのない広告配信を目指すうえで、どれを裁量に任せて、何をルール化するのか。それ以前に、どのくらいの経験やスキルを持ったメンバーであれば裁量を持たせるべきなのか。
これらを踏まえ、滝井氏は、マーケティングのメソッド開発や広告運用の仕組みづくりとともに、経験の浅いメンバーを育成する社内研修の体制を整えていった。
インバウンド依存からの脱却。大量離職を経て、新体制が定着
さらに同社は、アウトバウンドの営業活動を始める。
組織体制の見直しに伴うものであったが、「“広告代理店事業でやっていく”という覚悟を示す意味のほうが大きかった」と、滝井氏は当時を振り返る。
「代理店ビジネスは競争も激しいですし、労働集約型の要素も大きい。外から見れば華やかに見える部分もあるかもしれませんが、現実はそんなことばかりではありません。やるならば、覚悟が必要でした。
インバウンドは、お客さまのほうからお問い合わせがくるぶん、甘えてしまう部分がある。社内に営業文化もなかったので、インバウンドだけに頼らない体制で一度やってみようと、ゼロから営業部を立ち上げました」(滝井氏)
会社の状況が変わるなかで、痛みも経験した。社員の離職が続き、2016年には「(ピーク時の社員数と比べて)ざっくり半分くらい」まで社員数が減った。
それでも、変わろうとしているキーワードマーケティングに可能性を感じて残ったメンバーや、新しく入社したメンバーに支えられた。当時のメンバーは、今の同社を支える中核メンバーに成長している。
そして、組織変革の大きな打ち手となったのが、2016年に立ち上げたオペレーション業務に特化する九州佐賀支店の存在だ。
実は社内業務を分析する過程で、業務時間の約55%を入稿業務などのオペレーションが占めていることがわかったのだ。
たとえば「100本の広告クリエイティブを差し替える」という依頼があった場合、その1つずつを手作業で入稿し直さなければならない。
重要な業務だが、効率を高めながらミス自体も減らせる仕組みが作れないか。試行錯誤を経て、たどり着いたアイデアの1つが、オペレーションの分業だった。
広告の入稿や監視などの管理業務、レポート作成といったオペレーションは佐賀のチームが担い、東京本社のメンバーは分析や戦略業務に集中する。
この分業体制を取り入れたことで、ミスは激減。「自信を持ってお客さまの広告運用を支援できる」という状態を取り戻し、インバウンドの新規案件の受注も再開した。
2017年1月には、社名を「株式会社キーワードマーケティング」へ変更するとともに、ロゴを刷新。
変化の激しいマーケティング業界において、運用型広告の運用代行で顧客へ価値を提供できるよう進化を続ける。「組織全体が変わっていくんだ」という覚悟を示す意味も込められていた。
PR大手のベクトルグループに参画。デジタル広告の制約を打ち破りたい
2022年12月。
滝井氏は、「PR業界大手・ベクトルグループへの参画」という大きな決断をする。キーワードマーケティングは同グループの一員となった。
なぜ、ベクトルグループだったのか。滝井氏は、次のように語る。
「私たちは、検索母数を増やしたいんです。リスティング広告は、いまだにデジタル広告の約4割を占める規模である一方、検索母数そのものを増やせないという致命的な弱点があります。
検索数が下がってしまったキーワードに対しては、何もできません。
ただ、テレビをはじめとしたメディアに関連する情報が出たり、著名なインフルエンサーが話題にあげると、とたんに固有名詞の検索数が一気に増えるんです。この傾向は、昔から明らかでした」
「マスに対して、主体的にアプローチできる方法が必要だと考えていた」と滝井氏。
たとえば、PRで登場するタレントを運用型広告のクリエイティブやLPにも起用する方法がある。マスメディアからWebまで連動したPRを実施するには、さまざまなハードルを乗り越えなければならないが、大きな価値が生まれるという。
「私たちは、“運用型広告で成果を出せます”と自信を持って言えます。しかし、3年、4年と継続してお客さまに価値を提供し続けていくことを考えると、広告成果を抜本的に底上げできる打ち手が必要。
ここ数年、どうやったらお客さまに付加価値を感じていただけるかを考え、認知施策をはじめとしたマーケティングファネルの上流から関わりたいと意識するようになったんです。そこへ、ベクトルグループとのご縁がありました」(滝井氏)
PR領域で強固な事業基盤を持ち、デジタルマーケティングをはじめとしたさまざまな事業会社を持つベクトルグループに参画することは、キーワードマーケティングの可能性を広げ、顧客へのさらなる価値提供に直結する。
電通が発表した「2022年 日本の広告費」によると、日本の総広告費は7兆円を超え、過去最高の規模となった。とくにインターネット(デジタル)広告の成長は著しく、3兆円を突破し、総広告費全体の43.5%を占めている。
キーワードマーケティングが、今やるべきことは何か。
滝井氏は、今後の展望を次のように話した。
「これまでのデジタル広告は、媒体側が提供する広告表示回数という制約の中で、適切なCPAで最大のコンバージョンを獲得することが役割でした。キーワードマーケティングの今後の役割のひとつとして、この制約を主体的に打ち破っていきたいと考えています。
たとえばリスティング広告は、新商品を売る際にものすごく不利です。世の中に知られていない商品や市場がほとんどない商品は、言葉が知られていないので検索されない。リスティング広告は、(検索ワードとして)顕在化されているニーズに対応する手段として考えられている側面が強いです。
でも、PRで認知を広げて検索数を増やすことで、リスティング広告でも新商品の販売に貢献できます。しかもPRによる認知は、テレビCMなどのマス広告に比べてコストパフォーマンスに優れています。
PRをベースとしたブランディングとデジタル広告の取り組みをしっかりと理論化、体系化して、一気通貫した提案により、広告の成功率を高めていきたいです」(滝井氏)
(撮影:ヤマダヤスヒコ 文:大崎 真澄 取材・編集:水谷真智子)
取材後記
『僕たちのPMFの話をしようか』では、これまでソフトウェアを提供する資本集約型企業を中心に取材をしてきた。今回は、広告運用という労働集約型企業であるキーワードマーケティングさまを取り上げた。
労働集約型サービスでは、ソフトウェアサービスと違い、人そのものが提供価値となる。そのため、PMFに至るために顧客への提供価値を見直すことは、自社の組織を見直すこととイコールだ。
キーワードマーケティングさまの場合も、市場や顧客ニーズが変わり、そのニーズに対応するタイミングで、教育や組織体制の見直しを実行。その過程で、「(ピーク時の社員数と比べて)ざっくり半分くらい」の離職も経験されている。
労働集約サービスのPMFを目指す経営者・事業責任者は、顧客の課題や解決策を考えるだけでなく、組織作りについても同じぐらい考える習慣を持つと良いだろう。
(取材後記・文:栗原 康太)
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