才流では、「BtoBマーケティングの履歴書」と題して、BtoBマーケティングで成果を出している企業やBtoBマーケターを取材。BtoBマーケティングに重要なポイントや注意点など、リアルな声をお届けします。
連載の第1回にご登場いただくのは、30年以上にわたって、日本の大手製造業、IT企業を中心にBtoBマーケティングの支援を行い、日本企業におけるBtoBマーケティングの重要性を訴求している、シンフォニーマーケティング株式会社の庭山 一郎さんです。
近年、事業拡大の一手として、エンタープライズ企業へアプローチをするSaaS企業が増えています。しかし庭山さんは、「エンタープライズシフトは本当に必要ですか?」と問いかけます。
日本の製造業のトップ企業と接し、エンタープライズ企業の考え方やエンタープライズ営業の真髄を知る庭山さんに、SaaS企業がエンタープライズシフトを考えるうえでの心構えをうかがいました。
聞き手は、才流コンサルタントの岸田 慎平です。
1962年生まれ、中央大学卒。1990年にシンフォニーマーケティング株式会社を設立。
データベースマーケティングのコンサルティング、インターネット事業など数多くのマーケティングプロジェクトを手がける。
1997年よりB2Bにフォーカスした日本初のマーケティングアウトソーシング事業を開始。製造業、IT、建設業、サービス業、流通業など各産業の大手企業を中心に国内・海外向けのマーケティングサービスを提供している。中央大学大学院ビジネススクール 客員教授
おもな著書に、『BtoBマーケティング偏差値UP』(日経BP)、『究極のBtoBマーケティング ABM(アカウントベースドマーケティング)』(日経BP)がある。
その「エンタープライズシフト」、正しい戦略ですか?
岸田 庭山さんは、著書『BtoBマーケティングの偏差値UP』で、「BtoBマーケティングが二極化している」と書かれています。
二極化とは、シンフォニーマーケティングが専門としている、商材単価の高いエンタープライズ企業や製造業を対象としたBtoBマーケティングと、多くのSaaS企業が取り入れるThe Model型のマーケティングがあることです。
そのうえで、The Model型でSMB(Small and Medium Business)を中心に成長してきたSaaS企業も、事業拡大を目指して、アプローチ対象をエンタープライズ企業へと広げています。しかし、エンタープライズ企業への営業は難しく、「エンタープライズシフト」に苦戦していると聞きます。
庭山さんならば、どのようなアドバイスをされますか。
庭山 「本当に、エンタープライズへ行くの?」って聞きますね。The Model型を否定しているのではなく、それだけエンタープライズ企業とSMBは違う世界なんです。
SaaS企業やスタートアップが得意なマーケティングは、月額数万円のような低価格帯の商材を、効率的に営業することに適した手法です。シンプルで、わかりやすい。でも、このノウハウをエンタープライズ企業向けに展開するのは、やはり難しいと思います。
なぜなら、エンタープライズ企業のキーパーソンは、タクシー広告を見たり、Webを検索してホワイトペーパーをダウンロードしたり……、などの行動をなかなかやりません。
なにより、エンタープライズ企業では、ラストワンマイルで踏み込める営業の存在が不可欠です。その営業スキルを持った人間をアサインしなければならない。マーケティングだけでは解決できない問題があるんですよ。人材や組織の体制から見直す必要があります。
たとえば、エンタープライズ企業の人が「稟議を書く」とは、自分のポジションを懸けることに等しい。
プロダクトやサービスを導入したあとに、サポートが不十分だったり、現場の課題解決ができなかったり……などの状態になってしまったら、その人はキャリアが停滞してしまうかもしれないという世界なのです。
営業と顧客が、お互いにキャリアを託すような信頼関係が必要になります。
「エンタープライズ企業とビジネスをする」とは、その関係性をゼロから構築することなんですね。今までのマーケティングで培ったアセットが、活用できない世界でもある。
ですから、「“エンタープライズ企業を対象とすることが、本当に自社の戦略としてあっているか?”を、考え直してみてはどうですか」と思いますね。
エンタープライズ企業には、エンタープライズ企業のお作法がある
岸田 そもそも、「自社にとってエンタープライズ企業とは何か」を定義する必要がありますよね。上場会社を意味しているのか、従業員数なのか。
また、大手企業のある事業部に導入することを、エンタープライズ攻略というのか。それとも、その企業の全従業員での利用を目指して、何億もの取引を作ることを目指すのか。
後者の場合は、庭山さんがおっしゃるような、ラストワンマイルの営業の力がより重要になるのだと感じました。
庭山 私たちがお客さまのプロジェクトを始めるときは、言葉の定義あわせから取り掛かります。
「御社のSMBとは、売上や社員数でいうと、どのくらいの規模を意味していますか」と聞くと、東証プライム規模の企業をSMBと認識しているケースがある。また、「既存の顧客以外は、すべてSMBと呼んでいます」ということも。言葉の定義は、とても大事です。
庭山 そのうえで、仮に上場企業をエンタープライズ企業と呼ぶならば、日本には約4,000社あります。一方、SOHOやSMBを含めた企業は、370万社近く(※)あるんです。つまり、世の中の企業のほとんどが、中小企業や個人事業主で、エンタープライズ企業のほうが少数派。
ですから、「わざわざレアのほうを狙うって、本当?」と思うわけです。手強い世界ですよ。
※令和3年経済センサス‐活動調査 速報集計より(リンク先PDF)
岸田 私は以前、エンタープライズ企業向けのITコンサルティングの仕事や、創業2〜3年のベンチャーで、エンタープライズ企業との取引を開拓するような取り組みに関わってきました。
その経験から思うのは、エンタープライズ企業と取引をするにあたり、さまざまなハードルがあるということ。
自社が小さい企業だと、そもそも口座開設の与信審査から厳しいですし、セキュリティ水準やサポート水準、サービス提供体制やコミュニケーションスキルも高いものを求められますよね。
庭山 エンタープライズの世界には、求めるサービスレベルアグリーメント(※)があります。サポート体制しかり、専任の担当者をつけるにしかり、エンタープライズにはエンタープライズのお作法がある。
ですから、「エンタープライズ企業へ営業しよう」の前に、「SMBのマーケットすべてに、自社サービスを提供しましたか?」を聞きたい。
そうでなければ、プロダクトによりますが、Tha Model型の組織体制で、SMBマーケット内の取引の拡大や新しいプロダクトの提供をおすすめします。
※サービスレベルアグリーメント(Service Level Agreement):サービス提供者と利用者の間で結ぶ、提供サービスの品質のレベルを定義、合意するもの。(参考:SLA(Service Level Agreement)とは?サービスレベル契約の定め方と注意点)
エンタープライズ市場で勝ち、アカウントを守れる商材がなければ、投資負けする
岸田 では、プロダクトそのものを、エンタープライズ向けに開発する方法はどうでしょうか。
庭山 プロダクトを変えるかどうかには、別の問題があります。もし私が、SaaS企業から「SMBからエンタープライズ市場へ営業したい」と相談を受けたら、徹底的に商材の検証をします。
本当に、エンタープライズ市場で勝てるのか。あるいは、勝ったあとも競合からの攻勢に耐えられるのか。アカウント内で横展開できる商材があるのかなどを検証する。
エンタープライズの世界へ行くには、営業の採用や販売チャネルの構築も含めて、手間と時間とお金がかかります。エンタープライズ市場で勝てる商材でないならば、投資負けになってしまう。その場合は、「やめたほうがいいですよ」とお話しますね。
庭山 SMBからエンタープライズへシフトすることには、事業成長を考えての意思決定もあるのだと思います。導入企業の事例に、インダストリーを代表するような企業名があると、誇らしい気持ちになるのもわかります。
でも、違う世界へ行くということは、プロダクトも人も、ストラテジーもツールも別のものを用意しないといけない。リードジェネレーションのあり方も違うし、デジタルマーケティングだけでなく、リアルなイベントや決裁者が参加するラウンドテーブル(※)もやる必要がある。
これまで蓄積してきた、SMB向けのノウハウとアセットが通用しない世界に、本当に行くのか。そして、回収できるだけの商材がありますか?は確認したいですね。
そうでないならば、くたびれ儲けになってしまいます。運良くアカウントを開設できたとしても、その先を維持し続けることに、非常に大きな労力を取られることになると思います。
※ラウンドテーブル:円卓を囲み、自由に意見交換を行うこと
BtoBマーケティングの市場がなかった
岸田 庭山さんは、1990年にシンフォニーマーケティングを設立しました。それから30年以上も、BtoBマーケティングのコンサルティングや、マーケティングの人材育成などを手掛けていらっしゃいます。
あらためて、庭山さんがどのようなソリューションを提供しているのか、教えてください。
庭山 私たちは、日本の製造業に対して、リードデータオプティマイゼーション(Lead Data Optimization)という独自のメソッドを用いて、営業と一体となったBtoBマーケティングを支援しています。
リードデータオプティマイゼーション
シンフォニーマーケティングの提唱するコンテンツマネージメント手法。リードデータ(ハウスリスト)に最適化したコンテンツをWebに用意し、メールでナビゲーションしてアクセスを解析する手法で、ユニークで洗練されたデータベースと事例をデジタルアーカイブ化したWebとそれを結ぶメールマガジンが融合してはじめて実現する高次元なデータベースマーケティング。
MarketingCampus
リードデータは、社内に眠っている何十万枚という名刺から生み出していきます。
日本のエンタープライズ企業の営業は、平均して2,000〜3,000枚の名刺を持っています。名寄せして、重複や営業対象外、競合先を除くと、いかせるデータが10万から20万は残るんです。
あらためてリードジェネレーションをする必要がないんですね。このリードデータを用意したうえで、デマンドセンター(※)を構築していきます。
※デマンドセンター:営業機会の創出活動を目的とした機能・組織のこと。参考:Marketing Campus
岸田 いまでこそ、BtoBマーケティングに関心が高まり、「やるべきだ」という風向きになっていますが、庭山さんが事業を始めた当初は、どのような感じだったのでしょうか。
庭山 シンフォニーマーケティングは、日本でBtoBマーケティングのコンサルティング業を始めた、最初の会社でした。会社の設立当時は、ものすごい苦労をしましたよ。
インダストリーのトップ企業とのお取引では、私たちが小さい会社という理由でスムーズに口座を開設できなかった。いろいろと相談を受けて、提案して、いざ契約しましょうというタイミングで、与信に引っかかるわけです。
岸田 まさに、エンタープライズ企業との取引の難しさを、庭山さんも経験してきているんですね。
庭山 BtoBマーケティングの市場そのものが、なかったんです。日本の企業にもさんざん営業しましたけれど、どこからも「いらないよ」と言われて。「会社が潰れてしまうかもしれない」という危機もありました。
そんなとき、日本に進出してきた外資系のIT企業が、日本でBtoBマーケティングができる企業を探していたんです。
そこに活路を見つけました。当時のシンフォニーマーケティングのお客さまは、ほぼ外資系のIT企業でしたね。
強い顧客グリップと比例して起こる「俺の客問題」
岸田 現在、BtoBマーケティングに関する考えは変わってきていますよね。「やらなくてはいけない」という企業も増えました。
庭山 経営者から、「庭山さんの本を読みました。自社でもABM(※)をやりたい、お願いします」とお問い合わせをいただきますよ。
※ABM(アカウント・ベースド・マーケティング):特定の企業を決め、その企業に特化したマーケティング施策を行う手法
でも、すぐに始められるわけではありません。まずは、「営業の皆さんはマーケティングに同意しているのか?」の確認が必要です。
営業のトップの人たちを集めて聞いてみると、「マーケティング、始めたほうがいいですよね」と言います。でも「俺の客はだめですよ」なんです。
「俺のお客さまに、マーケティング部から電話をしたり、メールを送ったりするのは勘弁してよ。知らない人から連絡がくるのを、お客さまは嫌がるから」となります。
これを、私は「俺の客問題」と呼んでいます。
岸田 俺の客問題。私も、経験したことが何度もあります(笑)
庭山 でも、日本の営業って、そのくらいお客さまとの信頼関係を握っているんです。
昭和の時代の話になりますが、優秀な営業パーソンは、自分が担当するお客さまの行動を知っていました。「仕事が終わったあとは何時にどこで食事して、21時になったらここでカラオケをしていて、1曲目はこの歌を歌って、そのときの酒はこれ」までわかっている。
家族の誕生日も知っていて、お客さま本人が忘れていても、お客さまの名前で花を贈る手配をしている、とかね。
岸田 それだけ時間を投じてお客さまと強い信頼関係を構築していたら、赤の他人が連絡することに対して嫌がるのも、納得です。
庭山 この世代の人たちの、アカウントの握り方は尋常ではありません。そんな人達に、「ABMやりましょう」なんて言ったら、大変ですよ。
「俺のお客さまの何がわかるんだ」と言われる。そんなケンカを何回もしてきましたが、相手の話を聞くと、怒っても仕方ないなと思うんです。
会社員人生をかけてお客さまを理解しようとしている人からすれば、知らない外部のコンサルタントが来てね、「名刺のデータを共有しましょう。ABMやりましょう」と言われたら、嫌な気持ちにはなるでしょう。それでも、マーケティングをやらなくてはいけないのですが。
岸田 企業や業界ごとに程度は違えど、「エンタープライズを経験している」とは、「あらゆる面からお客さま理解を徹底している」ということですね。
庭山 以前関わっていた、ある企業の営業パーソンは、取引先に自分の席がありました。あまりにもしつこく訪問するから、「ウロウロしてないで、その席に座ってなさい」となったんです。
それで、各部門を回って仕事を得て、結果的には年間で何億もの案件をつくる、という動きをしていました。このように、エンタープライズ営業は、既存のお客さまに対してどれだけ深く入り込めるかが求められます。
岸田 まさに、深耕営業とはなにか?がわかるエピソードです。
エンタープライズ企業とは何か?を知り、適切な戦略立案を
岸田 庭山さんは、欧米を中心とした海外のBtoBマーケティングやセールス事情にも詳しいです。庭山さんが感じられている、海外と日本との違いを教えてください。
庭山 グローバルで見たとき、基本的にBtoBの営業はセールスレップ(※)に任せています。セールスレップは、フルコミッション(完全歩合制)で基本給ゼロですが、売れば売るだけ報酬が出るため、年収何億というプレイヤーがいる世界です。
会社のコアは社内のマーケティング部が握り、セールスレップは売ることに集中します。
※セールスレップ:Sale Representativeの略。販売を代理で行う個人や企業。販売代理店とは、依頼する業務内容に違いがある。参考:セールスレップとは?営業代行との違いや報酬体系まで徹底解説
岸田 セールスレップは、高くて、売れる商材を売ることに努めている。
庭山 海外のセールスレップは組織への帰属意識が低く、会社の方針やマーケティング部の戦略に異を唱えることはありません。
一方の日本では、営業の社内政治力がとても強い環境にあります。マーケティング部は新設が多いため、社内で強く言えない立場になりがちなんです。
岸田 会社の経営戦略としてマーケティング部をつくったとしても、営業とマーケティングが同じ目標に向かって動けるようになることが、求められますよね。
庭山 会社として営業の売上達成は嬉しい反面、求める戦略と異なる売上構成では困ってしまいます。経営、マーケティング戦略を踏まえ、営業とどのようにかかわっていくか。BtoBマーケティングのコンサルティングは、営業との格闘のようなところもありますね。
岸田 マーケティング部門が事業戦略を担い、セールスが数字を追う海外の役割とは異なり、事業戦略の中心に営業がいる日本では、海外のようにはいかないというのも納得です。文化の違いを踏まえた組織体制や社内コミュニケーションの重要性を感じます。
庭山 さらに、意思決定のプロセスも海外と日本は違います。アメリカはトップダウンで、日本はボトムアップ。
ABMでは「Cクラス(経営層)とラウンドテーブルをする」がお約束ですが、日本のCクラスは年齢層が高く、製造業のトレンドやお客さんのニーズをしっかりと理解している人は、稀なんですよね。
庭山 日本でフォローすべきは、稟議書を起案する人。20代後半から30代の現場の人たちですよね。職位は課長補佐だとしても、その人が稟議書を書いた時点で商談は終わっているようなものです。
外資系の企業からは「おかしい」と言われますが、「日本でビジネスしたいなら理解するところですよ」と話しています。
岸田 SaaS企業のエンタープライズシフトにおいても、同じですね。相手が置かれている環境や文化を理解して、ビジネスをしなくてはいけない。
庭山 そうです。決して、「エンタープライズ企業に営業してはいけない」という話ではありません。本気で向かうなら、これまで培ってきたSMB向けのマーケティングのノウハウやアセットとは別で、マーケティングやセールス、サポートの体制がもうひとつ必要です。
そこまでして投資しなければ、勝てない市場である。このことを考えて、本当にエンタープライズ企業へ向かうかどうかを、考えるべきではないかなと考えます。
才流コンサルタントが要点を解説
30年以上にわたり、エンタープライズ×BtoBマーケティングのご経験がある庭山さんのエピソードには、たくさんの学びがありました。
エンタープライズ向けの事業を展開するうえでは、
「自社におけるエンタープライズの定義はなにか?」
「目的と手段が正しく検討されているか?」
「売上を伸ばす手段は、ほかにもあるのではないか?」
などの視点から考えていく必要があると、あらためて感じました。
エンタープライズ企業のお客様に対し、アカウントセールスが何を考えて、どう行動するのかへの理解を深め、営業、マーケティングが一体になって取り組むヒントになれば幸いです。
(撮影:関口達朗)
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