才流(サイル)では、エンタープライズ向け事業にチャレンジする人や組織にフォーカスし、エンタープライズ向け事業を拡大するための取り組みや、おもしろさ、やりがいを発信します。
今回取材したのは、株式会社プレイドのグループ会社で、カスタマーサポート領域の事業を展開する、株式会社RightTouch代表取締役の野村 修平さんです。
野村さんは、ワークスアプリケーションズで14年間エンタープライズセールスに従事したあと、CX(顧客体験)プラットフォームKARTEを開発・提供するプレイドに入社し、エンタープライズセールス組織の立ち上げを担当。
他社の営業顧問やアドバイザーを務めるほか、ご自身のnoteでもエンタープライズセールスのノウハウを発信しています。
野村さんに、エンタープライズセールスに求められるスキルや、新規事業も創出する「エンタープライズセールス」という仕事ならではのおもしろさをうかがいました。
聞き手は、才流コンサルタント・宮戸章光です。
新卒で、株式会社ワークスアプリケーションズに入社後、新規開拓法人営業チームのマネージャー、その後ヴァイスプレジデントへ昇格。その後、新規事業として既存顧客専任の営業チームや、アメリカ事業の立ち上げを牽引する。2018年に株式会社プレイドに入社し、エンタープライズセールス組織の立ち上げに従事。社内起業としてカスタマーサポート領域のプロダクトを開発・提供する株式会社RightTouchを2021年12月に設立し、現職。
SMBのトップセールスでもエンタープライズでは売れない
宮戸 野村さんは、エンタープライズセールスの豊富な経験をお持ちで、他社の営業顧問やアドバイザーも務めています。
プレイドでは、エンタープライズセールス組織の立ち上げにも尽力されましたが、野村さんがエンタープライズセールスの組織をゼロからつくるときは、どのようなキャリア、スキルを持ったメンバーのアサインを重視していますか。
野村 少なくとも、1人はエンタープライズセールスの経験者を入れることが必要だと考えています。
短距離走とマラソンの選手が違うように、エンタープライズセールスとSMB(中堅・中小企業)セールスでは競技がまったく違います。
たとえば、SMBでは瞬発力やスピードが必要なのに対し、エンタープライズセールスにはより戦略的な思考と、時間をかけて考え続けるという持続性が求められます。
ですから、SMBのトップセールスがそのままエンタープライズでもトップになれるかというと、まず難しいのではないでしょうか。
私がプレイドに入社した2018年頃は、アパレルを中心としたエンタープライズ企業でKARTEの導入実績が増え、組織としてエンタープライズ企業へのアプローチを拡大しようとしていました。
そのため、立ち上げ時には社内でエンタープライズセールスを経験した人をアサインし、新たにエンタープライズセールス経験者を採用しています。
宮戸 SMBで一定のシェアを広げたSaaS企業は、次の成長の打ち手としてエンタープライズ向けのビジネスへ展開する傾向があります。
しかし、SMBでのセールスの知見を、そのままエンタープライズセールスの参考にすることは、難しいのですね。
野村 さらにエンタープライズセールスは、売上が立つまでに時間がかかります。少なくとも半年から1年ほど経たなければ、目に見える成果は出せません。
しかし、「もっと短期間で成果を出せ」という思考になりがちな経営者がいることも事実です。短期的に成果を取りにいこうとすると、エンタープライズセールスは成り立たない。
エンタープライズセールスになぜ時間がかかるのかを納得してもらうには、その経験を持った人が、ロジカルに説明することが必要。エンタープライズセールスをやると決めたら、最低でも1人は経験者を置いてほしいです。
バイヤー相関図とホワイトボードミーティング
宮戸 「エンタープライズとSMBでは競技が違う」というお話をうかがいました。
野村さんのこれまでの経験の中から、エンタープライズセールスで成果を出すために必要だと思う個人のスキルや組織の仕組みを教えてください。
野村 エンタープライズセールスは、関わるステークホルダーがとても多く、一部の売れる営業が感覚でやっていては、再現性がありません。
私が新卒で入社し、エンタープライズセールスの経験を積んだワークスアプリケーションズでは、「組織力学を可視化すること」を重視していました。
その1つが、バイヤー相関図です。
宮戸 商談前のアカウントプランニングに必要な、組織図とは異なるものでしょうか?
野村 バイヤー相関図と組織図の違いは、ステークホルダーの関係性を捉える点です。
エンタープライズセールスでは、決裁権を持つ方以外にも、さまざまなキーパーソンが存在します。部長の下に懐刀のような課長がいたり、期待されている次世代リーダーの若手がいたりする。
さらに同じ部署であっても、提案に対してポジティブな人もいれば、そうでない人もいる。「AさんがOKであれば、Bさんは納得する」という関係性もあります。
宮戸 とくに日本のエンタープライズ企業では、稟議書を現場の課長レイヤーが起案する傾向がありますよね。とても複雑です。
野村 誰を説得しなければいけないのか。また、誰に反対されてはいけないのか。バイヤー相関図は、組織図からはわからない関係性を可視化します。
具体的には、PowerPointやMiroなどのツールに、面識がある・ないに関わらず、商談の関係者となるステークホルダーを全員書き起こします。そして、それぞれがどのような考えを持っているのか、誰を経由して商談を進めたらいいかなど、関係性を明らかにしながら戦略を立てていくのです。
宮戸 組織図だけでは分からない関係性を把握する、バイヤー相関図。ネーミングからも、その目的が明確にわかりますね。
では、バイヤー相関図の情報を増やすために、お客さまとはどのように信頼関係を築いていったのでしょうか。
野村 まずは、公開情報を頼りに、商談前の事前準備を徹底的に行っていました。
たとえば、ERP(※)パッケージを扱うワークスアプリケーションズの提案先は、会計や経理などのバックオフィス部門が中心です。この部署の情報は、IRの資料や中期経営計画、採用ページの社長インタビューの中に見つかりやすいもの。
基本のプレゼン資料の中に、それらの情報を参考に作った「私たちのプロダクトが貢献できること」という資料を挟むだけでも、お客さまの反応は変わってきます。
※ERP:Enterprise Resources Planningの略。人や物、カネ、情報などの企業経営の基本となる経営資源を適切に分配し、有効活用するという考え方。または、それを実現するシステムを指す。
宮戸 少しずつ信頼を勝ち得て、バイヤー相関図へつながる情報を聞いていくんですね。一方で、経験の浅いセールスの場合、ステークホルダーの関係性を見抜けないこともあります。OJTや研修などで教えていたのでしょうか。
野村 マネージャーをはじめとした関係者が集まり、バイヤー相関図を見ながらディスカッションする、ホワイトボードミーティングを行っていました。
バイヤー相関図や案件の概要を見ながら、「この人には当たったのか?」「この部署とこの部署の関係性は?」「他の企業なら〇〇の役割を持つ人が登場してくるはずなのに、出てこないのはなぜ?」と細かく指摘していくのです。
宮戸 さまざまな視点から、商談を進めていくうえでの落とし穴を見つけ、対策を考えていくミーティングなんですね。
野村 バイヤー相関図とホワイトボードミーティングはセットでしたし、組織として徹底的に取り組んでいました。組織図までは見るものの、人の関係性を可視化して、商談上の注意点を議論している会社は少ないと思います。
宮戸 近年、営業DXやセールスイネーブルメントが注目され、属人性に頼ってきた営業という仕事に再現性を見出し、組織として成果につながる営業活動をしていく動きがあります。
ワークスアプリケーションズでは、かなり早い段階で営業の型化を始め、組織の力にしていたことがうかがえます。
参考記事:「営業の型化」が必要な理由~事例で学ぶセールスイネーブルメント~
企業ターゲティングと「セールスがやらないことを決める」はセットで行う
宮戸 続いて、エンタープライズセールス組織の立ち上げ時でよくある課題を教えてください。
野村 「どこに提案したらよいか」の手立てがないケースが多いです。セールス先を適切にターゲティングすることが重要ですね。
まずは、プロダクトが対象としているターゲットをベースに、仮説でセグメントしてみてください。プレイドでは、受注・失注リストもセグメントの参考にしていました。
仮のセグメントにセールスしていくと、自社のプロダクトはどんな業種や企業にあうのか、またはどんな機能が求められているのか、解像度が上がってきます。
提案から一次情報を得て、セグメントを見直し、今度は違う企業へ提案してみる。このPDCAをくり返して「このセグメントだ」と見極め、リソースを集中するのです。このプロセスをやり切っている企業は、少ないと感じます。
宮戸 セグメントを検証しながら、ターゲティングの精度を高めることが大事。
野村 ターゲットを絞ることは、セールスメンバーが会社の戦略に沿って活動できる環境を作ります。
私の経験則ですが、セールスという職種は、目の前の売りやすい案件に集中してしまうタイプが多いと思うんです。
宮戸 売りやすいが、利益が低い商品というのもありますよね。
野村 そうです。すると、見た目の受注件数は多いのに、売上も利益も低い結果になってしまいかねません。ですから、適切にターゲティングするとともに、「やらないことを決める」をセットにします。
たとえば、「このメンバーは売上や利益の大きな案件しかやらない」「比較的難易度の低い案件は経験の浅いメンバーに任せる。マネジャーや先輩が同行するのも禁止」などの具体性まで落とし込むとよいでしょう。
宮戸 経営層やマネジメント層などが、トップダウンでターゲティングも含めた営業戦略を立てなければならないと感じました。
セールス組織だけが変わっても、売上は伸びない
野村 しかしながら、エンタープライズ向けの事業を展開するには、セールスだけでなく会社全体が、本気でエンタープライズのお客さまと向き合う覚悟を持たなければなりません。
プロダクトや、マーケティング、カスタマーサクセスも含めたすべてを、エンタープライズに合わせていく必要があります。
宮戸 とてもわかります。「組織は戦略に従う」というように、戦略を決めたら組織を合わせることに振り切らなくてはならないと考えます。
野村 SMBとエンタープライズセールスの手法が異なるように、マーケティングも同様です。
SaaSプロダクトだからといって、Web広告やウェビナーなどのSMBで使われる手法をいくら運用しても、エンタープライズ企業のリードは取れません。
実際に、RightTouchのサービス領域であるエンタープライズ企業向けのカスタマーサポートとWeb広告の相性は、あまり良くないです。コールセンターに関わる方たちの情報収集ソースが、Webではないからですね。
そこで私たちは、カスタマーサポート関連の展示会へ行き、ターゲット層にヒアリングをしました。すると、専門誌の『月刊コールセンタージャパン』を読んでいる方が多いとわかったんです。
現在は、その雑誌とタイアップしたオフラインイベントやウェビナーなどを行っています。
宮戸 さらに、プロダクト開発はもちろん、カスタマーサクセスにも顧客解像度の高さが求められますね。
野村 プロダクトやサービスのターゲットとなるステークホルダーの傾向で、戦術は変わります。一部の部署に任せるのではなく、会社全体でエンタープライズ企業の課題を解決していこうという姿勢があるかが大切です。
エンタープライズセールスは、新しいビジネスをつくる
宮戸 ここからは、RightTouchの事業についてうかがいます。
野村さんはプレイドの社内起業で、カスタマーサポート領域の事業を展開するRightTouchを設立しました。
2023年10月に正式リリースした、Webサポートプラットフォーム「RightSupport by KARTE」は、β版の頃からソニー損保やSBI証券といったエンタープライズ企業が導入しています。
まずは、RightTouchを設立した背景からお聞かせください。
野村 RightTouch設立のきっかけは、KARTEをエンタープライズ企業に提案するなかでの気づきにあります。
エンタープライズ企業の多くが、KARTEの競合サービスや近しい機能を持ったサービスを導入していました。そのため、KARTEの強みとしていたWebサイトやアプリのマーケティング用途以外で、KARTEが貢献できる領域を検討していたんです。
そんなとき、私は「カスタマーサポートでKARTEを活用できないか」と考え、担当していたソニーグループ各社のサポート部門に提案しました。すると、とても反応が良く、立て続けに複数社からご契約をいただきまして。
ここに、新しい事業の可能性を感じたんですね。
先方のチャンピオン(※)の方とディスカッションしたところ、カスタマーサポート領域にはKARTEを拡張すると、解決できることがたくさんあるとわかりました。
そして、両社で意気投合してプロジェクトを立ち上げ、実証実験として、プロダクトを開発することになったんです。
狙いどおりの成果を出すことができましたし、さらにカスタマーサポート業界が抱える課題の解決にもつながるという可能性も見えた。
そこで、この取り組みを正式なプロダクトとして提供していくために、共同代表の長崎(RightTouch 代表取締役・長崎大都さん)と、RightTouchを設立しました。
※チャンピオン:顧客組織内で、製品・サービスの採用や活用を推進するキーパーソンのこと。
宮戸 まさに、これからのエンタープライズセールスが目指していく、ひとつの形だと思いました。
シンプルにKARTEの提供価値を考えたとき、その提供先はマーケティング領域が該当します。しかし、「お客さまの違う課題を解決できないか?」と考え、カスタマーサポート領域に踏み込み、新しいニーズを発見した。
さらに、カスタマーサポート業界の課題解決にもつながり、新規事業にも発展したというお話からは、エンタープライズセールスの可能性を感じます。
野村 セールスは、サービスやプロダクトを売るだけの仕事ではありません。とくにエンタープライズセールスの役割には、あらたなビジネスの機会を探求することも含まれると思いますし、私自身、その可能性を探ることが楽しいです。
エンタープライズセールスの営業顧問をするときにもよく言いますが、セールスは狭い範囲だけに閉じこもっていても、大きな成果は上げられません。
たとえば、「既存のお客さまからプロダクトの満足度をヒアリングし、機能改善につなげる」という当たり前の行動から、視界を広げ、新たに価値が提供できる領域を探してみるんです。
お客さまから反応があれば、さらに深く掘り下げていきます。1人で難しいならば、まわりも巻き込んでいく。すると、新たな事業機会が見つかるのではないでしょうか。
宮戸 終わりに、今後のRightTouchの展望についてお聞かせください。
野村 RightTouchは、カスタマーサポート領域を対象としたコンパウンドスタートアップ(※)として、深く難易度の高いさまざまな課題の解決を目指していきます。
2023年10月には、Webサイトとコールセンターシステムを連携し、電話での問い合わせ体験とオペレーターによる応対プロセスを抜本的に変える「RightConnect by KARTE」β版の提供を始めました。
私たちのお客さまの先には、エンドユーザーにあたる一般消費者の方々がいます。カスタマーサポートでの「解決できない」は、事業者とエンドユーザー双方にとってマイナスです。
RightTouchのプロダクトを通してあらゆるカスタマーサポートの体験を向上し、お客さまの製品やサービスの価値、可能性を引き出していきたい。そして、消費者の皆さんの日常にもRightTouchのプロダクトが存在しているような未来をつくりたいと考えています。
私たちは、「インパクト志向」というバリューを掲げています。「安定で確実だけどインパクトが低いモノより、爆発的なインパクトを生み出す可能性があるモノを選択する」という考え方です。
将来的にはSMBへの展開も検討していますが、社会的なインパクトを大きく出せるのはエンタープライズの領域。まずは、エンタープライズの課題解決をしていくことに注力していきます。
※コンパウンドスタートアップ: アメリカのスタートアップ「Ripping」のCEO・Parker Conrad氏が提唱する戦略。または同戦略をとるスタートアップのこと。創業時より、単一のデータを用いる複数のプロダクトを提供する。労務向け、経理向けと部署ごとの課題を解決していた従来のSaaSに対し、コンパウンドスタートアップでは、データを軸に部署を横断してお客さまの課題を解決する。
才流コンサルタントが解説
かねてから、「事業を創りたい」という思いを抱いていた野村さん。RightTouch創業のお話からは、エンタープライズセールスが持つべき視野の広さや、職種としてのポテンシャルの高さを感じました。
エンタープライズセールスでは、ステークホルダーが多岐にわたるうえに、関係性も複雑です。セールスパーソンには、時間をかけてお客さまとの関係を深める活動が求められます。
たとえば、自社の製品がマッチするターゲットを発掘するためのターゲティングスキルや、バイヤー相関図の設計スキルなど、営業活動全体を俯瞰し、ゴールまでのシナリオを設計する戦略的な思考が重要です。
そして、エンタープライズ向け事業の推進には、セールス組織だけでなく、組織全体に「エンタープライズ向け事業をやりきる」という徹底した姿勢も欠かせません。
プロダクトやサービスのターゲットとなるステークホルダーの傾向で、戦術は変わります。一部の部署に任せるのではなく、会社全体でエンタープライズ企業の課題を解決していこうという姿勢があるかが大切です。
RightTouch 野村さん
プロダクトやサービスがエンタープライズが求める要件を満たすことは当然として、マーケティングやカスタマーサクセスもエンタープライズ企業の解像度を高めなくてはならないのです。
エンタープライズセールスが見つけるさまざまな事業機会に、組織全体で取り組んでいきましょう。
(撮影:関口 達朗 文:杉山直隆|オフィス解体新書)
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