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日本経済新聞社「NIKKEI KAI」立ち上げのリアル~「譲れないもの、捨てるもの」を決めることで事業開発を前進させる~

新規事業開発
シニアコンサルタント
石田 啓
シニアコンサルタント
野田 拓志

大手企業の新規事業推進者や支援者を訪ね、現場のリアルな課題や乗り越え方、行動などを探る本連載。今回は、株式会社日本経済新聞社が2025年3月にリリースした法人向け生成AIサービス「NIKKEI KAI」推進のリアルを、前後編の記事に分けてお届けします。

大手企業の新規事業では、「すべての論点を詰めきらなければならない」と考え、歩みが遅くなるという課題がよくあります。

どうすればスピーディーに、売れる事業を立ち上げられるのか。そのヒントを与えてくれるのが、「NIKKEI KAI」の立ち上げストーリーです。

記事の権利と情報の正確性が事業の核である新聞社にとって、生成AIのサービスは論点が多いものでした。しかし、「譲れないもの、捨てるもの」の意思決定で、開発スピードを落とすことなく1年4か月で正式リリース。その後1年半で導入社数は250社を超えています。

前編では、チームの意思決定にフォーカスし、プロダクトマネージャーとして立ち上げを牽引した S.F.さん、2025年11月にプロダクトマネージャーを引き継いだ Y.O.さんに、お話をうかがいます。

聞き手は、才流のシニアコンサルタントである石田啓と野田拓志です。


語り手プロフィール

日本経済新聞社 情報サービス部門 情報サービスユニット サービス企画・開発グループ 副部長 S.F.さん

株式会社日本経済新聞社 情報サービス部門
情報サービスユニット
サービス企画・開発グループ 副部長 S.F.さん

2021年に日本経済新聞社に中途入社。2023年のプロジェクト発足時からNIKKEI KAIのプロダクトマネージャーを務め、β版提供、リリースを牽引。現在は事業全体を統括する。

日本経済新聞社 情報サービス部門 情報サービスユニット サービス企画・開発グループ Y.O.さん

株式会社日本経済新聞社 情報サービス部門
情報サービスユニット
サービス企画・開発グループ Y.O.さん

2025年に日本経済新聞社に入社。同年11月にプロジェクトへ参画し、S.F.さんからプロダクトマネージャーを引き継ぐ。顧客の利用実態の分析やパートナー戦略、SaaS・API・MCPと広がる提供形態の企画を担う。


日経の新規事業「NIKKEI KAI」とは

NIKKEI KAI(ニッケイ カイ)は、日本経済新聞社が2025年3月に提供を始めた法人向けの生成AIサービス。日本経済新聞をはじめとするメディアの記事・レポートなど2,000万件以上、53の専門媒体による約550業界の業界情報、10万系列の統計データなど、汎用の生成AIが参照できない信頼性の高い情報をもとに回答するのが特徴です。

ブラウザで使う「KAI SaaS」に加え、APIやMCPで企業のAI基盤や社内システムに組み込む「KAI Agent」も提供しています。

2023年11月にプロジェクトを始動し、2024年9月にβ版の提供を開始したNIKKEI KAI。2025年3月の正式リリースから順調に成長し、現在の導入社数は250社を超えています。

NIKKEI KAIのサービスサイトのトップ画面。「AIの答えに、確かな根拠を」のキャッチコピーと、MCP・API連携で社内システムに組み込む「KAI Agent」、ブラウザですぐ使える「KAI SaaS」の2つの提供形態が紹介されている
出典:https://nkbb.nikkei.co.jp/kai/
NIKKEI KAIの歩みを示した年表。プロジェクト始動から1年4か月で正式リリースし、その後コンテンツと提供形態を広げてきた。2023年11月 プロジェクト始動、2024年9月 β版の提供を開始、2025年3月 正式リリース、2025年10月 グッドデザイン賞を受賞、2026年2〜3月 導入企業が100社を超える、2026年4月 コンテンツを大幅に拡充(記事・レポート2,000万件、専門媒体53など)、2026年6月 Salesforce連携の提供開始・NTTデータと販売契約を締結、2026年9月 MCP形式での提供を開始

「次の柱をつくる」プロジェクトとして始動

石田 NIKKEI KAIのプロジェクトは、どのように始まったのでしょうか。

S.F. キックオフは2023年11月です。背景には、当社の2030年に向けた長期経営計画があります。計画では、事業を4つの領域に分け、売上と営業利益の目標がそれぞれ掲げられていました。

私たちが所属する情報サービスユニットの主力は「日経テレコン」という、法人向けのビジネス情報データベースです。日経各紙をはじめとする新聞・雑誌の記事や企業・人物情報をまとめて検索・閲覧できるのが特徴なのですが、当時はChatGPTが登場して1年過ぎたころ。「検索系のサービスは、2030年まで今の形のまま残ることは難しいのではないか」という見方もありました。

そこで、日経テレコンに続く主力サービスを立ち上げようと、プロジェクトがスタートしました。まだサービス名が決まっていないころは、ユニットの旗艦となるサービスをつくるという意味をこめて「フラッグシップ」と呼んでいました。

石田 「次の柱をつくる」という方向性は、ユニットの幹部の方々から示されていたんですね。その中身は決まっていたのですか。

S.F. いろいろなメンバーとの議論のなかで、「生成AIだろう」ということだけは決まっていました。

野田 大きな目標は上から降りてくるけれど、ゴールへの進み方は現場に任されていたと。チームの意思決定の質やグロースまでのスピード感は、柔軟な条件設定も後押ししたのかもしれませんね。

石田 社内では、生成AIをどう受け止めていたのですか。

S.F. 社内にはさまざまな意見もあったと思いますが、私はチャンスだと思っていました。

2023年当時、日経電子版の有料会員数は約90万人。日本のビジネスパーソンは約4,000万人いるので、まだまだ私たちのサービスが届いていない層がいます。

実際、これまでの日経のサービスには、「難しい」「業務にどう使えばいいかわからない」ととらえるお客様もいらっしゃいました。でも、生成AIを活用すれば、そうした課題を解決し、より多くの方にサービスを届けられるのではないかと考えたんです。

野田 体制は、どのように組まれたんですか。

S.F. 当時、企画系のメンバーは私を含めて5名ほど。開発系やコンテンツチームも含めると、20名弱でした。全員が兼務です。今もメンバーの大半は兼務で、複数のプロダクトを掛け持ちしながら進めています。

野田 兼務のプロジェクトでよく聞くのが、メンバーによって関わり方に濃淡が出てしまうという悩みです。本業との兼ね合いで、どうしても力を注ぎきれない人も出てくる。温度差はありませんでしたか。

S.F. 組成の時点で、新しいことに興味があるメンバーを中心に集めたんです。年齢は20代から40代までバラバラでしたが、温度差はあまり感じませんでしたね。業務経験や生成AIに関する知識もそれぞれでしたが、みんなで勉強しながら進めてきました。

石田 兼務は新規事業のアンチパターンと言われがちです。自分からやりたいと手を挙げた人が集まったからこそ、成り立ったのかもしれませんね。

新聞社として「権利と正確性」は譲れない

野田 生成AIのサービスを世に出すために、社内の調整にも相当な苦労があったのではないですか。

S.F. 新聞社である私たちにとって、記事の権利は事業の核であり、社内の意識も非常に高いものがあります。さらに、報道機関である以上、日経のサービスから間違った内容が出てはならない。情報の正確性も重要でした。

大事にしていることをどう守っていくかが、最大の論点になりました。

「生成物は誰のものか」「出力されたものがどう使われるのか」といった定義は、外部の弁護士に相談しながら詰めていきました。

ただ、制限しすぎると、結局使われないサービスになってしまう可能性もあります。ビジネスとして成り立つ線をどこに引くべきかは迷いました。いろいろな方からフィードバックをいただきながら調整し、社内で納得してもらえるように説明を重ねました。

野田 情報の正確性を担保するために、やったことはありますか。

S.F. 試作段階で、社内のいろいろな方に使ってもらいました。精度を試すためにあえて意地悪な質問をする人もいました。聞かれたことに答えるのが生成AIですが、新聞社のサービスとしてそのまま答えていいのかと迷うような内容もあったんです。

そこで、NG質問のセットをつくり、検証を回しました。さらに、利用規約に盛り込む対応と、技術的に抑制する対応の両面で詰め、各部門に説明していきました。

野田 ゼロから事業をつくり上げるのは、いわば「何でもあり」の世界です。そのなかで、「ここは譲れない」という点をしっかりと言語化し、社内に説明していったんですね。こうしたルールメイキングはお手本にしたいです。

とはいえ、各部門から指摘が集まるほど、すべてに応えるのは難しくなりそうですね。

S.F. そうですね。指摘を最初からすべて反映しようとすると、前に進めなくなってしまうと思うんです。ですから、少しずつ改善を重ねながら、同時に理解してくれる人を増やす活動をしていました。

他部署に説明に行く前に、まずは自分のユニット内で理解してもらうことから始めました。とくに、当時のユニットの統括役員、担当役員、ユニット長などに私たちの方針をしっかり理解してもらい、巻き込めたことが大きかったと思います。

ほかにも、雑談のなかで「これで困っていて」と相談して、手伝ってもらうこともありました。本当にいろいろな方に協力いただいたと思います。ロジックだけでなく、熱意を持って相手の方に話をしていくのは重要だと感じました。

石田 記者の方にとっては、自分の書いた記事がAIに使われることになります。ルールや法務の話だけでなく、感情面の反応もありましたか。

S.F. 社員は3,000人いますから、いろいろな考えの人がいると思います。ただ、少なくとも私たちが向き合った方のなかで、感情的にネガティブな方はいませんでした。理解していただいたうえで、「やるなら、ここはしっかりしなければダメだ」という指摘は、たくさんいただきました。

サービスの価値を保つために、捨てるものを決める

石田 2024年9月にはβ版をお客様に提供するために、50社弱に声をかけたそうですね。

S.F. はい。そのうち20数社のお客様に実際に使っていただき、ご意見をいただきました。

石田 社内でチューニングを重ねた手応えと、お客様の評価の間にギャップはありましたか。

S.F. うれしい発見だったのは、「出典が確かなもの」へのニーズが非常に高かったことです。NIKKEI KAIでは、回答の根拠になった記事を見ることができます。出典がしっかりしていて確認もできるので、安心して使えるという評価をいただきました。

一方で、アウトプットの質については、「汎用的な生成AIとそんなに変わらない」という声もありましたし、「情報が薄く、知りたい答えが出てこない」と言われることもありました。

この段階では日経のコンテンツだけをソースにしていたので、コンテンツが薄いことはおおむね予想どおりでした。ただ、汎用的な生成AIを使っても変わらないと言われたのは残念でしたね。

野田 汎用的な生成AIは、手元の情報にない部分もAIが推し量って補う推論を使って回答するので、情報量が多い傾向がありますね。比較されたときに弱い部分は、どう対応したのでしょうか。

S.F. 推論が必要なら別のAIと組み合わせて使っていただくのがいい。つまり「推論は捨てる」という決断をしました。

「出典が確かなもの」というサービスの価値を感じてくださるお客様がいて、私たちも情報の確かさにこだわりを持っています。そうであれば、弱い部分を補うよりも、サービスの価値をさらに高めるほうに注力したほうがいいと考えたのです。

そこで、聞かれたことの周辺にある事実情報を補って回答を出せるように、日経以外のメディア各社にご協力いただきコンテンツを増やし、改良していきました。

野田 「ハルシネーション」が問題視されはじめたころですし、とくに信頼で成り立つBtoBビジネスにとっては、情報の確かさは価値になります。推論を捨てて振り切ったことで、さらにNIKKEI KAI独自の価値が際立ちましたね。

石田 他メディアに記事を提供してもらう際、自社の記事を生成AIに使わせることに慎重な意見はありましたか。

S.F. 自社の権利物がどう使われるのかという不安の声はありました。説明のキーになったのは、私たち自身も権利を持つ会社だということです。

「私たちはこう考えていて、だから自社の権利は守られると思っている」とお伝えできた。コンテンツを持っていない会社が声をかけるのとは、まったく違いますよね。

石田 自分たちが先に飛び込んでいるファーストペンギンだから、一緒にルールをつくりましょうというスタンスがとれたわけですね。

先に固めるべき点と、走りながら修正する点を見極める

石田 価格については、公開されている顧客事例のなかでも「役員から高いと言われた」という声が紹介されていますね。料金体系はどう考えてこられたんですか。

S.F. 当初は、1社あたりの最低利用人数を20名に設定していました。NIKKEI KAIが事業としてしっかり成長できる値付けです。ただ、お客様からは「実際に使うのは1〜2人かもしれない」「その単位では買えない」という声があり、最低人数のハードルを下げたところ、売れるようになってきました。

一方で、今度は顧客単価が上がりにくいことが課題になっていて、ここはまだ検証を続けているところです。社内でも、コンテンツに価値があるのだから高く売るべきだという意見もあれば、私のように、多少安くても使う人を増やしたいという考えもあり、議論が分かれています。

石田 料金体系は走りながら修正できる論点ですよね。一方で、記事の権利やサービスのコンセプトは、いったん世に出したら戻しにくい。戻せない論点を先に固めて、戻せる論点は動かしながら調整していったんですね。

野田 「すべての論点を完璧にしないとリリースができない」と考える企業は少なくありません。日経さんは、どこで折り合いをつけ、どこを走りながら直すのかを見極めるのがとても上手ですね。だからこそ、スピードを落とさずに進めたのだと思います。

大企業の新規事業は、関係部署が多くて動きにくいと思われがちです。実際に事業を進めてみて、いかがでしたか。

Y.O. 当社では、上長が自由にやれる環境をつくってくれています。「ここは決裁を取る」「ここは報告する」というルールはありつつ、それ以外は現場に判断を委ねてくれています。大企業でも、仕組み次第で、機動力高く新規事業をつくることは可能なんだと感じました。

野田 社内制度によって条件や進み方を規定している企業も多いですが、決まりすぎているがゆえの弊害があると思っています。スピードは落ちますし、社内調整や審査ばかりに気をとられ、事業そのもののつくり込みがおろそかになってしまうことがあるからです。

とくにチームに新規事業の立ち上げ経験者がいる場合は、柔軟な条件設定のほうが力を発揮しやすいことも多いと思います。

日経さんの場合、仕組みだけでなく、そこにチームのみなさんのスタンスや意思決定の妙があったということも、スピード感を持って事業を進められた大きな要素だと感じました。

ユニットの幹部の理解を得て、社内でさまざまな人を巻き込みながら、検証を重ねたこと。そして、「日経として大切にすること」をしっかりとサービスの価値に落とし込んだこと。秀逸な進め方だったと思います。


後編の記事では、試作からグロースまでのリアルをお聞きしました。併せてお読みください。

日本経済新聞社「NIKKEI KAI」グロースのリアル~リリース後も顧客の声を聞き、サービスを磨きつづける~

撮影:植田 翔、執筆:猪俣 奈央子、編集:安住 久美子

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