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応募者が増え続ける東京海上HDの事業創出プログラム「TIP」。事務局の親身な支援体制を聞く

新規事業開発
執行役員
小島 瑶兵

新規事業開発は「千三(せんみ)つの世界」と言われています。

しかしながら、その厳しい現実のなかで、新規事業の芽を育てる支援者たちがいます。

本連載「新規事業開発を支援する人たち」では、大手企業で新規事業開発を支援する組織・個人に焦点を当てます。彼らはどのようにして新規事業の種を見出し、育て、開花させているのか。各社の特徴的な取り組みや課題への対応策について、現場の声をお届けします。

第1回は、東京海上ホールディングス株式会社の新規事業創出プログラム「TIP(Tokio Marine Innovation Program)」の支援体制を紐解きます。

スタート当初は「挑戦の文化醸成」を目的に置いていたTIPですが、近年は「事業化」にも注力。自社の状況に応じた柔軟なKPI設計で事務局運営を行い、アイデアの応募者と事務局メンバーの双方で成長の実感が持てる仕組みを実現しています。

事務局のメンバーである細貝さん、黒木さん、田口さんに話を伺いました。

聞き手は、才流のコンサルタント・小島 瑶兵です。

(インタビューの内容・役職・所属は、2025年1月取材当時のものです)

東京海上ホールディングス株式会社
ビジネスデザイン部 レジリエント事業開発室 アシスタントマネージャー
細貝 啓さん

2022年より現職。防災・減災のソリューション開発に従事しながら、TIP事務局業務を担当。これまで法人営業として総合建設業や自動車メーカーを担当し、顧客との新規ビジネスの立ち上げ経験を持つ。

東京海上ホールディングス株式会社
ビジネスデザイン部 企画グループ アシスタントマネージャー
黒木 由布子さん

新卒で、現在の東京海上日動火災保険株式会社に入社し、30年にわたり資産運用業務に従事。2023年度TIP個人・チーム部門最優秀賞受賞。2024年4月より現職。事業化を進めながら、TIP事務局業務に従事。

東京海上日動火災保険株式会社
人事企画部 人材開発室 ユニットリーダー
田口 一徹さん

2024年4月より現職。これまで省庁への出向で事業開発に携わるほか、情報通信領域における協業などを担当。現在はTIP事務局業務を担当。

挑戦文化の醸成から事業開発重視へと進化する「TIP」

小島 Tokio Marine Innovation Program(TIP)とは、どのようなプログラムなのでしょうか。

細貝 TIPは、東京海上グループの成長に寄与するビジネスモデルの創造・新規事業創出を目指す、社内公募型のプログラムです。

2017年に前身となるプログラムがスタートし、アップデートを重ねるなか、2020年に現在の形になりました。人事制度のJOBリクエスト制度の1つとしても位置づけられており、すべての社員と会社双方の持続的成長を目指すプログラムです。2020年7月には、TIPから伴走型マッチングサービス「プロドア」が事業化されました。

TIPには、3つの大きな目的があります。それは、挑戦・イノベーション文化の醸成、応募者の成長とスキルアップ、そして事業化による会社の成長です。

2017年の開始当初から文化醸成を重視していましたが、社内にTIPが認知され始め、また会社として新規事業により注力するようになると、TIPも一層事業化にコミットした内容になってきました。

細貝 啓さん/東京海上ホールディングス株式会社 ビジネスデザイン部 レジリエント事業開発室 アシスタントマネージャー

田口 これまでは応募テーマに制限はなく、いわば「何でもあり」の状態でした。

2024年度は事業化の実現可能性を高めることを目的に、テーマに「推奨領域」を設定しました。推奨領域は、会社が注力するモビリティ、防災・減災、サイバーセキュリティなどの領域です。結果として前年度を上回る306件の応募があり、とくに首都圏以外からの応募増加は喜ばしい変化でした。

また、従来は営業部門からの応募が中心でしたが、保険金支払部門の方やコーポレート部門の方からも応募していただけるようになり、応募者層のバックグラウンドの多様化が進んでいます。

細貝 保険ビジネスは日々のオペレーションが重要で、決められたプロセスを確実に実行することが求められます。そのため、TIPは日常業務とは異なる新鮮な経験としても受け止められているようです。

実際、応募者からは「普段の業務から少し離れたことを考える時間が新鮮で勉強になる」「アイデアを考える時間が楽しい」という声をよくいただきます。

なかには「通常の業務内での提案も検討しましたが、あえてTIPに応募しました」という方もいます。また、若手社員から部長職まで幅広い層からの応募があることも、TIPの特徴といえます。応募のリピーターも多いんです。

田口 一徹さん/東京海上日動火災保険株式会社 人事企画部 人材開発室 ユニットリーダー

多彩な経験を持つメンバーで事務局を構成

小島 TIP事務局の運営体制を教えてください。

細貝 現在は、ホールディングスのビジネスデザイン部と東京海上日動火災保険の人事企画部の共同オーナー体制です。事務局は年度ごとに体制を見直し、関連部署からメンバーがアサインされます。2024年度は10人弱で運営し、メンバー全員が兼務で関わっています。

時期により変動はありますが、通常業務の1〜2割を事務局業務に充てています。また、応募者の視点を運営に反映させるため、他部署から事務局運営を支援してくれるメンバーもいます。

小島 皆さんの現在の業務と、これまでのキャリアを教えてください。

細貝 私は、2022年からビジネスデザイン部に所属し、防災・減災のソリューション企画を担当しています。以前は法人営業で、ゼネコンや自動車メーカーを担当し、リスクマネジメントや新規ビジネスの協業などを行っていました。事務局の業務は2年目になります。

田口 2024年度より人事企画部に所属しています。これまでは、省庁出向でAIやIoTの事業開発に携わったり、当社の情報通信ソリューション部では新たな協業スキームの検討を行ったりと、事業開発を経験する機会をいただいてきました。その経験をTIP事務局で活かしていきたいと考えています。

黒木 私は旧東京海上火災保険に一般職として入社以来、約30年にわたり資産運用セクションで勤務してきました。2023年度のTIPに応募してファイナリストとなり、その後ビジネスデザイン部へ異動。TIPが、想像もしていなかったキャリアのきっかけとなりました。

現在は事務局運営に携わりながら、自身のアイデアの事業化に取り組んでいます。応募者としての経験を活かし、より良い制度づくりを進めているところです。

黒木 由布子さん/東京海上ホールディングス株式会社 ビジネスデザイン部 企画グループ アシスタントマネージャー

丁寧なフィードバックで応募者を支援

小島 TIPの年間スケジュールを教えてください。

細貝 TIPは、約半年間のプログラムです。2024年度のスケジュールは、5月末に募集を開始し、12月に最終審査を行いました。

選考プロセスは、1stステージ、2ndステージ、3rdステージ、Finalステージの4段階で構成されています。1stステージには選考がなく、300文字程度の簡単な企画書の提出のみで、2ndステージに進みます。

2ndステージでは、事業計画書の提出があります。選考に進んだ企画は3rdステージでオンラインによるプレゼンテーションを行い、Finalステージでは、役員や外部投資家の前で対面のプレゼンテーションを行います。

2024年度は、306件の応募から、2ndステージは約150件、3rdステージは約20件の企画が通り、最終的に7件がファイナルで発表されました。

立ち上げ期の応募は2桁台だったものの、2022年度は179名の応募。2023年度、2024年度の応募は300名を超える規模に。

田口 TIPの立ち上げは、幅広いアイデアを募る形で始まりました。社内で一定度認知が高まった今だからこそ、特定のテーマに焦点を当てた募集ができるようになったと実感しています。

推奨領域を設定したことで、応募テーマの具体性は増しました。その一方で、すでに社内で検討済みの案件や実現性の課題がある企画も含まれ、選考基準は以前より厳格になりました。これは、事業化にコミットしていくうえでは必要な変化と捉えています。

小島 事務局では、応募者に対し、各ステージでどのような支援をしていますか。

細貝 審査を行う2ndステージ以降からは、外部講師を招いてプレゼンの方法などを学ぶ研修を行うほか、ビジネスデザイン部のインキュベーションチームによるメンタリングで企画の具体的なブラッシュアップを支援しています。また、同チームや外部のコンサルタントが、2ndステージ通過者の方全員に企画のフィードバックを提供しています。

黒木 私は、過去に2回TIPに応募した経験があります。初めての応募のとき、「ソリューションが定まっていないので、課題を明確にしたほうがよいですよ」というフィードバックをもらいました。そのときは2ndステージ止まりだったのですが、フィードバックのおかげで「もう1年がんばろう」と思い、今に至ります。

このような経験を持つ事務局の人として、応募者の方の次につながるようにと意識し、関わるようにしています。「本業とTIPを黒木さんはどうやって両立しましたか」のような個別の相談も多く、チャットなどを通じて気軽に相談できる体制を整えています。


田口 フィードバックを送ると、応募者の方から「なるほど」「自分もそう思ってました!」とリアクションがあるんです。「TIPは貴重な成長の機会なので、これからも続けてください」という、事務局を応援するメッセージもいただきます。良いコミュニケーションツールになっていると感じます。

小島 応募者にリピーターが多いというお話でしたが、事務局の親身な対応が「次もがんばろう」という気持ちをつくっているのだと思いました。

アイデアの推奨領域を絞ったことに、応募者からは『「新規事業をつくる」という事務局の本気度を感じた』という声もあったと田口さん。

細貝 他には、企画立案の支援として、新規事業に必要なフレームワークを『プレイブック』としてまとめています。

このプレイブックは15ページほどの構成で、課題の特定から顧客理解までのポイントを段階的に解説しています。実は、2ndステージに提出する事業計画書は、このプレイブック内のフォーマットを活用します。応募者は決められた項目を埋めることで、事業計画を体系的に整理できます。

プレイブックは、事務局メンバーも日常業務で参照することもあります。将来的には社内の共通言語になればと考えています。

新規事業に必要なフレームワークをまとめた『TIP PLAYBOOK』。TIPにエントリーした全員に配布。

応募者の心理的ハードルを下げる情報発信

小島 応募者を増やすための工夫や、運営上の課題を教えてください。

黒木 応募者を増やすため、2024年度はエントリー時期にいくつかの施策を実施しました。まず、2023年度のTIPファイナリストによるトークイベントを開催し、応募のハードルを下げる工夫をしました。また、選考過程にある応募者のモチベーション維持や悩み解消のため、顔出しNGの本音で話す座談会も行いました。

やはり「こういう企画をやってみたいけれど、部内では提案しづらい」という方や「自分の専門領域ではない課題のアイデアがあるが、応募してよいのだろうか」という方はいます。TIPは幅広い提案を受け入れる制度であることを発信し、より多くの社員からの応募につなげていきたいです。

田口 応募者の関心をつくるうえで、黒木さんの存在は大きいです。新規事業開発は、特定の人が担うものという印象があるかもしれません。しかし黒木さんは、日々の業務のなかで、お客さまの“負”から感じたことを突き詰めて、「お客さまへ何を返せるのか」を考え、TIPを経て事業化に挑戦している方。

「TIPはさまざまなバックグラウンドを持つ社員から多様な提案を受け入れ、事業化を目指している」ということを示す、象徴的な存在だと思います。

家族の入院や介護を経験するなか、以前から考えていた社会課題に対するサービスのニーズを強く実感し、TIPに応募した黒木さん。2度目の挑戦で2023年度TIP個人・チーム部門最優秀賞に。

細貝 応募者からは、過去に採択された案件のその後を問う声が増えています。TIPを通過したアイデアには、2つの事業化パターンがあります。ビジネスデザイン部へ異動して専任で取り組むか、現部署に在籍しながら副業的に推進するかです。いずれの場合も、必要に応じて予算が付与され、事業化に向けた活動を行います。

こうした情報発信が不足していたことから、広報部門と連携してTIP専用の社内ページを開設しました。透明性を高めることを目的に、過去の案件の進捗状況や成果を共有しています。

また、防災・減災などの推奨領域に関連したアイデアは、最終審査に通ったあと、その領域を扱う部署で事業化を検討します。自社ですぐに実現は難しいが、可能性があるアイデアは、VCをはじめとした外部の会社と協働で進めるという方法も選択肢としてはあります。

小島 ビジネスコンテストでよくある課題に、「アイデアは採択されたが事業化ができない」があります。TIPの場合は、ゴールゲートを複数用意してある点が、応募者の本気度をうながす仕組みになっていますね。

そのうえで、アイデアの領域をしばるわけではなく、「推奨」としていることで、挑戦するという文化醸成と事業化、両方の目的を良い塩梅で実現していると感じます。

まさに、東京海上グループが人的資本経営の方針として提示している、自律的なキャリア構築にもつながり、会社が目指す社会・公共の発展に貢献できる経営リーダーの輩出に寄与しているのではないでしょうか。

細貝 TIPには文化醸成、人材育成、事業化という3つの目的があり、そのバランスをどう取るかは難しいです。KPI設計の難しさは、常に課題ですね。応募件数を重視すると数の追求となり事業化の実現性が下がる。一方、事業化を重視しすぎるとアイデアの門戸が狭くなってしまいます。

明確な解はなく、その時々の会社の状況に応じて適切なKPIを設定するよう心がけています。たとえば、2024年度は選考期間の見直しを行いました。2ndから3rdまでの期間を1か月延長し、応募者がより充実した準備ができるよう配慮しました。しかし、本業との両立という観点では依然として課題が残っており、より効果的な支援方法を模索しています。

TIPを新規事業開発プラットフォームへ

小島 今後の展望をお聞かせください。

細貝 一番応募者の多い東京海上日動火災保険の社員数は約1万7,000人ですが、TIPへの応募は300名程度に留まっています。まだまだ認知の伸びしろがあると思う一方、地域特有の課題に基づく提案が増えてきたことは嬉しい変化です。

今後も、情報発信や所属部署の理解推進に取り組み、TIPを東京海上グループ全体の新規事業開発プラットフォームとして発展させていきたいと考えています。さらに、過去の応募者同士のコミュニティをつくり、部署や年次、会社の垣根を越えた協働も実現できたらと思います。

田口 第一の目標は、TIPが盛り上がり、新規事業を継続的に生み出していくこと。2024年度は、保険金支払部門からの応募が多く見られました。日々、お困りのお客さまと接している部署だからこそ、多くの気づきがあります。そこから事業が生まれていく兆しに、とても感銘を受けました。

そして、TIPで応募者が得た新規事業開発の考え方やフレームワークは、既存事業にも活用できるはずです。会社を取り巻く環境が大きく変化するなか、お客さまやユーザー起点の視点や従来の発想にない新しいアプローチは、これまで以上に重要になってきています。TIPが社内の共通言語となり、会社全体の成長を加速させる基盤になることを期待しています。

黒木 まずは、TIPからグロースする新規事業を誕生させていくことが目標です。そして、女性がもっと挑戦できる文化の醸成にTIPが貢献できたらと思います。応募者層の多様化により、「いろんなアイデアを出していいんだ」というリアクションがあると嬉しいですね。

田口さん、細貝さん、黒木さん、ありがとうございました。

才流のコンサルタントが解説

コンサルタント・小島

文化醸成か、事業化か?
大手企業の新規事業開発に託されやすい目的を、バランスよく実現する仕組み、テーマの設計が素晴らしいと感じました。

東京海上ホールディングスのTIPには、以下の特徴があります。

  1. 「文化醸成」と「事業化」を、時代やニーズに応じて重点を変えながら、並行して実施
  2. 応募者への丁寧なフィードバックにより、応募者のモチベーションを維持
  3. 独自のプレイブックによる、新規事業創出ノウハウの体系化と共有
  4. 多様なバックグラウンドを持つ事務局メンバーによる、幅広い視点からの支援

印象的なのは、事務局の包容力の高さです。文化醸成と事業化という、ともすれば相反しかねない目的を両立させながら、応募者の成長や挑戦を支援する姿勢が、プログラム全体を通じて感じられました。この包容力こそが、TIPが7年以上にわたって発展を続けている理由の1つと言えるのではないでしょうか。

年間300名以上が応募し、そのうち数名が実際に事業化にチャレンジする。その過程で得られる学びは、応募者個人の成長だけでなく、組織全体のイノベーション力向上にもつながっています。新規事業創出に取り組む企業にとって、示唆に富む事例です。

(撮影/植田 翔、取材・執筆・編集/水谷 真智子)

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