
企業のDX推進における複雑な課題の解決には、さまざまなパートナーとの連携が求められます。また、数年にわたるプロジェクトを推進するためには、「発注する側」「受注する側」という関係を超え、ひとつのチームとなって課題に取り組むことが欠かせません。
今回は、花王株式会社でDX戦略を複数のパートナー企業と共に推進してきた、田中剛さんにお話をうかがいます。
田中さんは、20年以上同社のデジタルプラットフォーム環境の整備に取り組んできました。とくに、海外拠点を含むグループ全体で使用するプラットフォームとして、コンテンツ管理システム「Adobe Experience Manager(AEM)」を導入するプロジェクトでは、社内外のステークホルダーとの関係づくりを意識したといいます。
同プロジェクトを田中さんと一緒に進めてきたのは、伊藤忠テクノソリューションズ株式会社(以下、CTC)と株式会社コンセント。田中さん流のプロジェクトマネジメントをうかがいます。
聞き手は、才流コンサルタントの高橋 歩です。
本記事は、事業会社と支援企業が対等な関係を築き、ともにビジネス課題を解決するための考え方や行動を探る連載『正解のない時代を拓く、新しい企業パートナーシップ』の第2回です。

デジタル戦略部門 情報システムセンター
カスタマーリレーションシップマネジメント部
MKグループ エンゲージメントアーキテクチャ
ゲーム業界にてデザイナーやプログラマ、作曲などさまざまな職種を経験後、1997年に花王株式会社に入社。2003年より、同社のデジタルプラットフォームの構築に従事。製品カタログのデジタル化やWeb/CMSサーバのAWS化、マルチデバイス対応など、同社のDXを推進。
会社と会社の間には言葉のギャップが存在する
高橋 田中さんは、Webの製品カタログサイトの制作やCMS導入・リニューアルなど、長らく花王さんのデジタルプラットフォームの最適化に注力されていらっしゃいます。
その取り組みを一緒に進めてきたのが、開発会社の伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)さんとデザイン会社のコンセントさんです。
複数のパートナーと社内を動かす大きなプロジェクトでは、チームづくりが重要です。本日は、田中さんのご経験のなかから、アドビ社のAdobe Experience Manager(AEM)の導入プロジェクトのお話をうかがいながら、パートナーの力を引き出すプロジェクトマネジメントについて考えていきます。
まず、AEMの導入プロジェクトについて教えてください。

田中 AEMの導入プロジェクトは、海外含めた花王グループ全体で活用する、デジタルマーケティングプラットフォームの構築を目的とした取り組みです。2014年からはじめ、2018年に完了しました。
CTCさんとは20年以上、コンセントさんとも10年近くお仕事をしています。2015年ごろから、両社とAEM導入をはじめとした花王のコンテンツのデジタル基盤の整備やコンテンツづくりに取り組んできました。
私のチームでは、CTCさんにはシステム開発を、コンセントさんにはシステムを使う人視点の情報設計やUI設計、フロントエンドの実装などを中心にお願いしています。

高橋 コンセントさんは、情報設計やサービスデザインに強みをお持ちですよね。その当時、ユーザー行動を考えたUI設計やフロントエンドの実装を、一般生活者が見るページだけでなく、システム側に対しても導入することは、とても珍しかったんじゃないかと思うんです。どのような背景があったのでしょうか。
田中 システムを使う人と開発する人、それぞれの意図を通訳する存在が必要だと感じたんです。
システム開発の現場では、発注した側とシステム開発会社の間に言葉の大きなギャップが存在します。その最たる例が「オリエンテーションが伝わっていない問題」です。
発注側が、オリエンテーションで伝えたつもりでも、開発側の言葉で解釈できる説明ができていないんです。逆に、開発側もサービスを使う側の状況やクリエイティブの意図を充分に理解しきれていないので、適切にヒアリングができないことが多いです。
高橋 結果として、「依頼したシステムと違う」と「仕様書どおりに開発しています」の意見がぶつかってしまいがちですね。

田中 カレーで例えるとわかりやすいです。「カレーを作ってほしい」と頼んで、出てきたのがぐちゃぐちゃに混ぜたカレーだったとします。
でも、つくった側は「仕様書どおりにたまねぎ、にんじん、ジャガイモと肉をいれていますよ」となる。つまり「盛り付け」は仕様書に書いていなかった、ということなんです。
どんなふうにルーをかけて欲しいか、何%白いご飯が見えているべきか、スプーンはどの位置に置くか。そのような意図も含めて正しく仕様書をつくることは難しいですし、言葉で伝えるには限界があります。
そこで、仕様書の内容をビジュアルで表し、開発サイドへ伝える橋渡し役として、コンセントさんに入っていただきました。
高橋 2010年あたりから、スマートフォンの所有が伸びはじめ、デジタルコンテンツの作り方も大きく変化しました。それに伴いシステムも複雑になりますから、発注側と開発側をつなぐ新たな役割が必要という経緯があったんですね。
「開発のやり直し」を経てチームがひとつに
高橋 とはいえ、開発会社としては「仕様書どおり開発しているのに」という気持ちがあったと思います。また、プロジェクトの途中から違う企業が参加するとなると、足並みを揃えることが難しいのではないでしょうか。
田中 もちろん、CTCさんの開発力は高いです。20年近いお付き合いのなかで、花王のデジタル基盤のさまざまなところで、ご尽力いただいています。また、私にデザインや開発領域の知見があったため、2000年代はじめの頃は、私が現場と開発の間の通訳として立っていたこともありました。
ただ、よりよいシステム開発やWebの制作体制をつくるなかで、業務に関わる人の視点にも立ったインターフェースやコミュニケーションが必要になります。そのためには、インフォメーションアーキテクチャの要素を踏まえて、使いやすいデザインを実現できる専門家が必要だったんです。
2社の役割分担には私も入り、「ここはコンセントさんが」「ここからはCTCさんで」というように議論を重ねました。ただ、やはり2社間で遠慮や言いづらさ、ときにはビジネス上の主張もありました。

田中 両社の関係性が深まったきっかけがあります。それは、サイト制作者が使うAEM Siteを構築していたときのことです。最初はテスト開発として、CTCさん1社にお願いしました。
完成したAEM Siteは、システム開発の観点から見ると、花王規模でも十分に安定した稼働が可能なCMS基盤でした。ところが、実際にサイトを作ってみるとHTMLを書くよりも時間がかかってしまったんです。
AEM Siteには、ページのテンプレートやコンポーネント(画像の表示や文字入力などのパーツのこと)が備わっていますが、テスト開発のAEM Siteには、実際にサイトを作る人の考え方や、どんなふうに機能を使いたいのかというサイト制作の視点が充分ではありませんでした。
そこで、両社と本音で話し合い、サイト制作者の考え方や行動をよく分かっているコンセントさんに、AEM Siteのフロントエンドの設計から入っていただくことになったんです。
そこから、フロントエンドはコンセントさん、それ以外の開発はCTCさんという役割分担がより明確になり、互いの関わり方もスムーズになりました。
次第に、私が関わらなくとも現場レベルで密にコミュニケーションをとって進行するようになりましたね。私が質問をする前に、自社のメンバーも含めて「こんなふうに決めて進めていますよ」と自走するチームになりました。さみしくもあるんですが、うまくいっているなぁと感じています。
今は、公式通販の「My Kao Mall」に注力していただいています。
高橋 「開発のやり直し」という想定外の出来事が、本音を交わすきっかけになったんですね。本音で語れると、自分たちのやるべきことが明確になり、それぞれの強みに任せられます。すると、チームに信頼感が生まれる。プロジェクトチームの理想的なかたちですね。
システムは「ユーザーに使ってもらうこと」がゴール
高橋 ここまでの田中さんのお話からは、「システムを使う人」の存在を強く感じます。開発プロジェクトには直接関わっていませんが、重要なパートナーです。
田中 花王のサイト運営やコンテンツ管理には、製品データの登録やサイト制作など、オーサリングと呼ぶ業務を担当してくださる多くの協力会社が関わっています。
CMSの設計時、まずはサイトを見に来るお客さまをユーザーとして考えるのですが、実はオーサリングする人もユーザーなのです。ですから、システム開発では、サイトを制作する側の視点も必要になる。オーサリングをする人たちの思考パターンがわからないと、使ってもらえないシステムになってしまいます。
AEMの構築をしていた頃は、とくに「ファッサー感」が感じられるシステムか?を意識していました。

高橋 ファッサー感ですか。
田中 新車発表会で、車を覆い隠している布をイメージしてみてください。これを「ファッサー」と引いたときの「おおお!」という感じですね。
たとえエンジンの性能が上がっていたとしても、車の見た目が変わっていなかったら「変わった!すごい!」とは感じません。これと同じで、「使ってみたい」「使うとどんなふうに良くなるんだろう」という高揚感がないと、使われないシステムになります。
何より、みんなで一生懸命開発しているわけですから、使われるシステムをつくらないと。
高橋 システムを要件通り開発して納品することがゴールではなくて、使ってもらって、その人のやりたいことを実現することがゴール。カスタマーサクセスの概念に近いですね。
強制ではなく、自発的な参加を促すための仕掛け
高橋 では、田中さんがさまざまなステークホルダーと仕事をするとき、心がけていることを教えてください。
田中 AEMのプロジェクトは、仕事の方法が大きく変わるだけでなく、HTMLコーディングのように無くなってしまう作業もありました。さらに、社内にはオーサリングを制作会社に依頼している部署がたくさんあります。みなさんに説明して、納得していただいたうえで、新しい方法に慣れていただかなくてはなりません。
そこで、「AEMに移行するとこんなメリットがあるんですよ」「仕事がこんなふうになります」「お客さまにこんな体験をお届けできますよ」を伝える動画をつくったんです。
動画は2段階で公開し、最初はAEMで何が変わるのかという内容。次の動画では、AEMの実際の操作方法などを盛り込んだほか、あらためて協力のお願いのメッセージを入れました。

高橋 あるべき未来を見せて、逆算して今やるべきことを提示する、バックキャスティングの方法ですね。
「言うとおりにやってください」と言うこともできるなか、パートナー企業の意欲や関心を引き出すような演出を考えられた理由は何だったのでしょうか。
田中 まず、自分が面白がっているところがあります。そのうえで、伝えかたにこだわり、みんなにも面白がってもらって、うまく巻き込みたいという気持ちがあるんです。
2つ目の動画を共有した後日、AEMの説明会とトレーニングを行ったんですが、社内の会議室ではなく、あえてアドビさんのオフィスに集まってもらったんです。「花王は本腰をいれて、AEMに切り替えますよ」という公式の舞台を用意することで、本気度合いを伝えようと考えました。
また、AEMのアカウントは、トレーニングで配られる花王オリジナルのガイドラインの冊子に掲載されたシリアルナンバーがなければ発行できないという仕掛けも入れました。
高橋 一緒に仕事をするなかで、状況の変化はあるものです。すると、大なり小なり不利益を被る人や企業は出てきます。そのことに対して、「迷惑をかけてしまうけれど、やらなくてはいけないんだ」と覚悟を伝えていくことって、簡単なことではありません。
田中 私にとって、動画を用意したりガイドラインに仕掛けを入れたりするのは、リスクマネジメントのひとつでもありますね。面白がりだけど、心配性なんですよ。
シェイクスピアのマクベスに「目に見える危険など心に描く恐怖にくらべればたかが知れている」というセリフがありますが、二十歳のころに読んで「これだ」と思いました。最悪の事態を考えておけば、それよりひどいことは起きないんだ、って。
極論ですが、「AEMを使いたくありませんと言われたら」を考えておく。それを回避するために何をすべきか?を考えて、実践しています。

高橋 準備の気持ちが沸き起こる動画やオリジナルのガイドラインを用意したり、なかなか訪問機会のないアドビさんのオフィスで説明会を実施したりと、まわりが自然と関わりたくなる仕組みを作っていらっしゃるなと感じます。
そこには、無理矢理にやらせることはできても、自発的に取り組むほうが働く人のパフォーマンスがよいということを、田中さんが大切に考えているからではないでしょうか。
田中 AEM導入のプロジェクトにしても、各社合わせて何十人という方々が関わっています。みんながいやいや取り組んでいたら、自走する組織にはならないと思うんですよね。
AEMの事例はCTCさんやコンセントさんも自社の成功事例として取り上げてくださっているし、オーサリングを担当してくださっている企業の方々にとっても、「花王のあのWebサイト、担当してるんだよ」と自慢できるような仕事になっていたら嬉しいです。
高橋 田中さんのように、会社と会社、人と人の間の橋渡しをできる方がいると、プロジェクトがスムーズに進みますね。
田中 業務や業種間の「通訳」は私の得意分野です。会議でも「この人の質問の意図はこういうことですよね」と橋渡し役を務めることが多いです。私に限らず、他者の視点に立つ役割を担える人がいると、プロジェクトもうまく進むんじゃないでしょうか。
花王ウェイの「正道を歩む」という価値観が育む、人と人の誠実な関係
高橋 以前、花王さんとお仕事をさせていただいたときに、担当の方のご案内でパートナー企業の何社かが集まり、墨田区にある「花王ミュージアム」の見学に行ったことがあるんです。
1890年に花王さんが石鹸を発売してからの歴史をたどり、人びとの暮らしや清浄文化にむける志、ものづくりの精神をとても感じました。
そのような企業としてのビジョンを実感できる機会があると、パートナー企業としても「この企業と一緒にがんばろう」という気持ちが、自然と沸き起こるんじゃないかなと思います。

田中 以前は、ご協力いただいている開発会社や制作会社などの皆さんにお声掛けして、私達の部署の戦略や方針のほか、「AEMにこんな機能が増えます」のような機能開発の進捗などをお知らせする会も実施していました。
あとは、パートナー企業のオフィスにうかがうことがあります。CTCさんのオフィスにも、過去2回ほどおじゃましました。先日はCTCさんの会議室に、花王のデジタル基盤まわりのさまざまな案件に関わってくださっている担当者全員に集まっていただき、「僕とCTCの20年」というプレゼンを1時間くらい熱くしゃべり倒したんです。
定例で会うメンバーはもちろん、その後ろにたくさんの方が関わってくださっている。普段なかなか全員と顔を合わせる機会はありませんから、自己紹介をしていただいて、「メールをくれる〇〇さん」「あなたが〇〇さん。いつもありがとう」というように、一人ひとりとお話ししました。あとで聞いたら、すごく評判が良かったみたいです。
やはり、仕事をするうえでは高い業務水準を求めますし、必要に応じて改善点や厳しいことも率直に伝えます。「顔も知らない花王の田中さんという人」ではなくて、人となりを見せておくと受け止め方も変わると思うんです。
高橋 田中さんは、「企業対企業」ではなく「個人対個人」になれる瞬間を意識して作られていると感じます。
パートナー企業と共創関係を深めるなかで、後押しとなっている社内の文化や価値観があるのでしょうか。
田中 花王グループの企業理念『花王ウェイ』に、基本となる価値観として「正道を歩む」があります。
たとえ困難であろうとも、つねに正しい道を選択するという考え方です。この考え方は、社員一人ひとりが大切にしています。
正道を歩む
「正道を歩む」は、創業者・長瀬富郎の言葉を源としています。彼は、勤勉に働き誠実に生きる人々のみが幸運をつかむことができると考えました。私たちはたとえ困難であろうとも、常に正しい道を選択します。私たちは、すべての人に敬意、公平さ、共感をもって接し、使命感を抱いて誠実に仕事に取り組みます。これにより、人として、志を共にする仲間が集う花王として、最も力を発揮することができます。
敬意、公平、共感、高い志私たちは、易しいことではなく、正しいことを行ないます。合法的で倫理的なふるまいが、私たちのビジネスの基本です。
法と倫理の遵守私たちは、企業の責任を真摯に受け止め、社会に役立ち地球を守ることのできる、安全でエシカルかつ高品質な製品、ブランド、技術、ソリューションを創造します。
花王ウェイ(企業理念)https://www.kao.com/jp/corporate/purpose/kaoway/
社会的責任の遂行
高橋 田中さんの「正道を歩む」という誠実さが、パートナー企業が持つケイパビリティやポテンシャルを引き出していらっしゃるんだな、と感じました。本日はありがとうございました。

才流のコンサルタントが解説

花王の田中さんは、DXプロジェクトにおけるシステム開発を、単なる「発注・受注」の関係ではなく、関係者全員が共創し合う場へと変えてきました。
今回のお話は、IT企業に限らず、複数のステークホルダーが集まる企業プロジェクト全般にとって大きな示唆があると感じます。
田中さんのプロジェクトマネジメントから学べることは、「強制ではなく、自発的に参加したくなる工夫」の重要性です。
動画やガイドラインの活用、アドビ株式会社のオフィスでの説明会など、関係者が自然と関わりたくなる仕掛けを施すことで、プロジェクトへの納得感を高めています。
こうした相手の視点に立った工夫こそが、プロジェクトを成功させるエンジンになるのです。
そして何より、田中さんをはじめ、花王のみなさんが大切にされている「正道を歩む」という価値観が、組織内外を問わず誠実に向き合う姿勢を育み、本音で意見を出し合える土壌をつくっています。
その結果、各社が自走しあいながら新たなアイデアを高め合うパートナーシップを成立させているのです。
DXにおいて、テクノロジーの導入はあくまで手段でありゴールではありません。人の心をどう動かし、当事者意識を高めるかが成功のカギになります。田中さんのプロジェクトマネジメントは、「いかに関係者を巻き込み、共に未来を創っていくか」を考えるうえで、多くのヒントを与えてくれると感じました。
田中さん、貴重なお話をありがとうございました!
(撮影/関口 達朗、執筆/中村 早雪、編集/水谷 真智子)
連載『正解のない時代を拓く、新しい企業パートナーシップ』第1回