新規事業開発に積極的に取り組んでいる日立製作所様。とくに「Lumada(ルマーダ)」事業は、同社のデジタル戦略の中核を担っており、顧客とのDX(デジタルトランスフォーメーション)を加速させる重要な役割を果たしています。
同社の金融BU戦略本部では、2023年9月に新規事業事務局の取り組みとして「FIBU Incubation Lab(FIIL)」を立ち上げ、新規事業を開発する人財育成に取り組んでいます。才流(サイル)では、2023年7月から複数の新規事業のテストマーケティング支援を行うなど、FIILの活動に伴走しながらさまざまなサポートを継続してきました。
※ FIBU:Financial Institutions Business Unit の頭文字からなる金融ビジネスユニットの略語
支援開始から1年半、事務局メンバーたちは社内外に活動の輪を広げながら、新規事業に挑戦しやすい環境づくりを進めています。これまでの取り組みの軌跡と、変わりつつある組織風土について、事務局メンバーであり金融BU戦略本部 Lumada事業統括部 担当部長の堀さん、同部 技師の大野さんにお話を伺いました。
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「新規事業開発の事務局」は、起案者の孤独に寄り添うパートナー
-大手企業における新規事業開発には、組織風土の醸成や人財育成など、多くの課題があります。日立ではどのような課題認識のもと、事務局を発足させたのでしょうか。
堀 私たち日立製作所の強みは技術力です。そのため、これまではものづくり起点・開発起点の発想で事業を生み出してきました。一方で、お客さまのニーズや、市場が求めているものに意識が向きにくいことが問題となっていました。
この意識を変えていくために、新規事業の事務局には新しい役割が求められると考えています。単なる管理や調整役ではなく、組織の意識改革を推進する主体として機能する必要がある。そこで、2023年9月に「FIBU Incubation Lab(以下、FIIL)」を立ち上げました。

堀 FIILの目的は、真の顧客ニーズを捉える人財の育成、組織風土の醸成、そして新たな事業の創生の3つです。FIILを通じて、一人ひとりがワクワクしながらイノベーションを生み出す組織を実現することをめざしています。
-FIILの立ち上げにあたって、とくに重視されたポイントは何だったのでしょうか。
堀 私の所属する金融BU戦略本部 Lumada事業統括部は、日立グループのDXソリューション「Lumada」を金融事業領域で展開していく役割を担っています。新規事業が生み出されやすい組織になるためには、より広い視野で新たな価値を創出していく必要がある。起案者を増やすためにも、新規事業に挑戦しやすい風土づくりが不可欠だと考えました。
-風土づくりにおいて、事務局の立ち位置はどのようにお考えですか。
堀 「事務局」という言葉には、単なる取りまとめや、上層部の代弁者というイメージがつきまといがちです。しかし私たちは、その概念を根本から変えたいと考えています。事務局の「顧客」は誰なのか。私たちは「起案者こそが顧客である」という考えに立ち、彼らに寄り添うパートナーであることをめざしています。
大野 実際、新規事業の起案者の方々から「孤独だ」という声をよく耳にします。とくに新規事業の場合、チーム組成前は相談できる相手も限られ、不安を抱えながら進めている方が多いのが現状です。そのため私たちは、「できません」「わかりません」「それは担当外です」といった回答は極力避け、どんな相談にも真摯に向き合うよう心がけています。

-起案者の孤独を解決するために、どのようなアプローチをとったのでしょうか。
堀 「Frontier」という事業創生プログラムを立ち上げました。背景には、新しい事業をつくりたい、挑戦したいという熱意をもつ社員をサポートしたいという想いがあります。
一方で、事務局である私たち自身に、事業創生のスキルやノウハウが不足していると感じていたんです。そこで、新規事業開発の専門家の力を借りることを検討しました。
才流との協業を通じて新規事業開発のノウハウや自走力を身につけてきた
-才流との協業が始まって1年半が経過したそうですが、これまで支援のご依頼を継続されている理由を教えてください。
堀 きっかけは、才流さんのコンサルタントが登壇するウェビナーに参加したことです。その内容に強く共感し、お付き合いが始まりました。
才流さんの支援で特徴的だったのは、私たちが実現したい状態をしっかりと理解したうえで、メソッドやアプローチを提供してくれるところです。才流さんのメソッドは再現性が高く、依頼した内容に対して期待通りの成果を出していただけるという信頼感がありました。
-実際に協業を進める中で、他にどのような点を評価されたのでしょうか。
大野 私たちにとって才流さんは、単なる協業相手以上のパートナーであり、同じチームの一員のような存在です。上流のフェーズから相談できる安心感があります。実際、最初にご支援いただいた新規事業のテストマーケティングのプロジェクトの際の良い成果がきっかけとなり、他のプロジェクトでもサポートに入っていただくようになりました。
堀 また、「自社でできることは自社でやりましょう」という姿勢も好ましく思っています。単純にノウハウを提供するのではなく、私たちが自走できるようになるためのメソッドを体系的に示してくれるんです。
大野 才流さんの強みだと感じるのは、顧客の抱えている課題や業務上の“不”を細部まで理解し、どのような価値提供が効果的なのかを深く掘り下げて分析してくれる点です。才流さんの支援を通じて、私たちのノウハウ構築や起案者の成長にもつながっています。
このような経験から信頼関係が深まり、さまざまなご相談をさせていただくように。その流れで、社外の新規事業に挑戦する方を招いてパネルディスカッションを行う社内ウェビナー「教えて!トナリの新規事業」についても才流さんにご協力をお願いしました。

起案者と事務局がリアルな経験を学び合う3つのイベントを実施
ーウェビナー企画を立ち上げるに至った背景を教えてください。
大野 開催の目的は、リアリティのある情報を提供する場の創出でした。自分たちだけではなく、社外にも同じような挑戦をしている人がいることを、起案者の方々に実感してもらいたかったのです。とくにARCH(※)に加入したことで、同じように事業創生に取り組む方々との出会いが増えたこともあり、その経験を社内の起案者にも共有できればと考えていました。
※ARCH:虎ノ門ヒルズエリアに位置する世界初の大企業向けインキュベーションセンター。大企業の事業改革や新規事業開発に特化し、ハードとソフトの両面から支援を実施。多様な産業分野のプレーヤーが交流し、日本独自のイノベーション創出モデルの実現をめざしている。
高橋 ウェビナーの企画をお聞きしたとき、FIILの活動をより良くしていくために才流として何ができるかを考え、ウェビナーに加えてARCHに加入する会員企業向けのワークショップの実施をご提案させていただきました。
せっかくARCHの会員の方々とつながったのであれば、単なる講演形式ではなく、各社・各部署が取り組んでいる方法論についてワークを通じて共有し合う。そうすることで、コラボレーションや情報交換に発展する可能性が高まります。大企業同士は似たような課題を抱えていることが多いので、「うちも同じところでつまずいていた」「そのやり方は自社でも応用できそう」といった気づきが生まれやすいんです。
また、日立製作所様の新規事業をより成長させていくために、顧客へのインタビューのスキル向上は重要です。そこで、社内起案者向けのインタビュー研修も併せてご提案させていただきました。

-ウェビナーのほか、ワークショップと研修も実施したのですね。3つのイベントの概要について教えていただけますか。
高橋 まず「教えて!トナリの新規事業」というウェビナーでは、他社の新規事業起案者の方に登壇いただき、実際につまずいた経験や反省点など、生々しい経験を共有していただきました。その際、才流が持つメソッドを活用して整理しながら示唆を加えることで、より実践的な学びの場となるよう工夫しました。
次にワークショップ「新規事業創出にコミットする 事務局運営の進め方 」では、ARCH所属企業から参加者を募り、起案者ジャーニーマップの作成に取り組みました。4~5人のチームに分かれ、それぞれの立場から見た課題や気づきを共有することで、より深い相互理解が生まれました。
そしてインタビュー実践研修では、各フェーズでの適切なインタビュー手法について、具体的な実践例やロールプレイング動画を交えながら学んでいただきました。単なる座学ではなく、実践的なスキル習得を重視した内容としました。
※関連記事:新規事業における課題探索インタビューのメソッド/進め方
-それぞれのイベントで、とくに印象に残っていることを教えてください。
大野 ウェビナー開催直後の反応としては「他社の取り組みを知る貴重な機会になった」「自分だけでなく、皆さんも同じような経験をされているということが参考になった」という声が多く聞かれました。
さらに興味深いのは、その効果が現在も続いていることです。社内の起案者から「ウェビナーで登壇していた方に話を聞きたい」と頼まれることが増えました。一度セッションを共にしたことで登壇者にご相談もしやすかったですし、起案者が社外とつながる良い機会を提供できたと思います。
堀 ワークショップでは同じ事務局の立場の方々と交流ができて、非常に有益でしたね。私たちの取り組みが社外の方にも伝わり、「地道な努力をされていますね」と評価をいただきました。その結果、複数の企業からディスカッションや相談のお声がけをいただくようになり、その後の連携にも発展しています。

-インタビュー研修についてはいかがでしたか。
大野 実践的な内容が好評でしたね。顧客インタビューの良い例・悪い例を実践動画も含めてご紹介いただきました。このような実践的な研修は初めての試みでしたが、参加者からは「良いインタビューの具体像が理解できた」「自分の課題に気づけた」という声が多く、従来の座学よりも学びが多かったとの評価をいただいています。
事務局の存在価値が向上し、組織内の交流も活発に
-これまでの才流との取り組みを通じて、どのような変化を感じていらっしゃいますか。
堀 事務局の認知という面では、正式な調査はまだ実施していませんが、昨年と比べて明らかに向上していると感じています。以前は私たちの活動に対して「これは何ですか?」という質問が多かったのですが、現在は多くの方に「名前を聞いたことがある」「知っている」と言っていただけるようになりました。
大野 社内外での露出を通じて、事務局の活動への理解が深まったと感じています。とくに、メディア取材やセミナーでのパネル登壇などの対外的な活動を通じて、社内の起案者や社員からの認識が大きく変化しました。
もう一つの大きな変化は、顧客インタビューの重要性に対する認識です。以前は想定だけで進めてしまうケースが多かったのですが、顧客の視点に立とうという意識が社内に根づき始めています。

-社内外のネットワークが広がったことで良い影響があったようですね。
堀 インナーブランディングという観点でも大きな効果がありました。社内外への発信や露出の機会が増えたことで、相談にくる相手が私たちのことをすでに知っているケースが増えてきたんです。以前は、事務局の業務や役割の説明から始める必要がありましたが、今は具体的な相談から会話を始められるように。結果、初回の面談からより本質的な議論ができるようになりました。
支援を受けて気づけた、顧客の視点に立つことの大切さ
-これまでを振り返って、才流の支援に対する感想を教えてください。
大野 まず、お二人の姿勢から多くを学ばせていただきました。私たちの立場に立って、チームとして事務局をより良くしていこうという目線でサポートしていただけます。この視点は、事務局と起案者の関係性においても大切だと感じています。
事務局の“顧客”は起案者であり、われわれ日立の社員です。インタビューや顧客の解像度を上げていく作業、課題を深掘りしていくことは、顧客視点に立つという意味で私たちが起案者・従業員に対してやるべきことだと改めて気づかされました。日常の業務に追われていると、この視点が抜け落ちがちですが、才流さんと一緒に活動するなかで、その重要性を実感しています。
堀 外部パートナーとの付き合いは多いのですが、才流さんは非常に相談しやすい。予算の制約がなければ、ずっと話していたいと思うほどです(笑)。同じ方向を向いているという実感があり、気兼ねなく相談できる関係性があります。
才流さんは情報を出し惜しみすることなく、共有できる内容はすべて共有していただけます。そのため、悩み相談や情報交換が非常に効果的に機能するんです。お互いが成長し合える関係性が築けていると強く感じています。

-普段のコミュニケーションについてはいかがですか。
大野 才流さんのお2人の発言はいつもとてもポジティブです。しかし、ポジティブなだけでなく、私たちが気づいていない課題を指摘し、提案してくださる点も助かっています。「このような課題が見えているのですが、いかがでしょうか」といった形で気づきを与えてくれます。
中島 堀さんがおっしゃっていた「事務局は意思決定者の代弁者のように見えがちである」という点は、私たちも強く意識していました。そう見られないよう、より起案した人たちをサクセスさせる方向に転換していく。その手助けが少しでもできたのであれば嬉しいです。

1人で悩まずに、社内外に「新規事業の輪」を広げてほしい
-今後の展望についてお聞かせください。
堀 事務局としては、今期から新しいメンバーが加わり3人体制となりました。現在の活動を着実に進めながら、新しいことにも取り組んでいきたいと考えています。
新規事業の開発ももちろん重要ですが、その前に組織風土を変え、事業創生に取り組める人財を増やすことが必要です。私たちは「ワクワクさせる」というキャッチーな言葉で表現していますが、そういった意識を持つ人財を増やしていくことが重要だと考えています。
大野 最終的には、組織全体がフラットになり、なんでも言い合える文化をめざしています。「自分の担当外だから」という理由で協力を避けるのではなく、「面白そうだから一緒に取り組もう」と言える組織が理想です。具体的な目標としては事業創生をめざしていますが、長期的にはそういったフラットで、相談しやすい組織づくりが私たちのめざす姿です。
-最後に、新規事業開発を推進する方々へメッセージをお願いします。
大野 起案者は孤独になりがちです。だからこそ、外を知ること、誰かに相談することが大切だと思っています。社内に味方をつくり、外部で同様の取り組みをしている方々と積極的に交流することで、必ず道は開けると確信しています。
堀 特別難しいことをする必要はありません。シンプルな取り組みを継続することに価値があります。たとえば「毎日◯◯を実施する」という約束を守り続けることそのものに意味があり、それを可能にするのは事務局内のチームワークや関係性です。1人では難しいことも、周りが一緒に考え、行動してくれる関係性があれば実現できるはずですから。

(撮影/関口達朗 取材・文・編集/ 河原崎 亜矢)